9/23〜10/3

〜ブルゴーニュ収穫事情・プチ速報〜

 

 

 

 

今回のORGANISATEUR

私個人。

 

今回のチーム・デギュスタシオン

テイスティングは、無し。

 

今回のスケジュール

9/23

パリ発

ジュヴレイ・シャンベルタン泊

9/25〜9/30

Domaine Claude DUGATにて終日、収穫作業。よって毎朝7時15分頃にドメーヌ集合。

ジュヴレイ・シャンベルタン泊

10/1〜3

午前中にヴォーヌ・ロマネに立ち寄った後、プチ・ヴァカンスでソーリュー(レストラン「コート・ドール」あり)近くの村へ。

帰パリ 

 

 9月の裏話で、ブルゴーニュの収穫事情や全国の天気予報にチラチラと触れてきたが、一言、結論として。

― 私の見解は、非常に甘かった

以上である。

 前々回の裏話では楽天的な天気予報を、またその前にはキッパリと「今後2週間と収穫時の天候の推移が、このミレジムの個性を決定する最後の鍵となることは間違いない」と断言したが、訂正した方が良さそうだ。

 

 と言うのも、まずは天気予報。大ハズレ(?)ではないか(参照にした無料天気予報サイトが不正確すぎたのか!?)。私が収穫を待機して過ごしたパリと同様、ブルゴーニュでは一般的な収穫前後:収穫公示日は後述)、気温はグングンと下がり始めるばかりか曇りがち&時に小雨あり、で、この期間中に「我慢に我慢を重ねた」ブドウ達の中には、一気に腐敗への道を進むものも少なくなかったようである。

 また「このミレジムの個性を決定する最後の鍵」となり得るものとして、確かに「収穫2−3週間前の天気の推移」は通常なら真っ先に挙げられても良いが、今年は「それ以前」の問題で、涼しく雨も降った8月に、おおかたの勝負は決まってしまっていたようである。つまり今年はブルゴーニュにとって「全ての病害が出揃った(?)」ミレジムであり、初夏から本格的に広がり始めたウドンコ病などの病害や雹害は(「我慢に我慢を重ねた」ブドウ達、と先ほど書いたのはこのせいだ)その都度、例年以上に非常に正確・迅速に対処しなければ被害の拡大を抑え難しかったのである。生産者にとっては「8月のヴァカンスから帰ってきたら畑が豹変!」もありだったようで、ある程度のコンディションを保った畑でなければ、9月初旬のインディアン・サマーを「恩恵」として受け取ることは出来なかっただろう。

 病害や雹害は、生産者を選ばない。よって多くの生産者達の言葉を借りれば、

「2004年は例えどんなに評価の高いドメーヌでも、何らかの被害があり、その対処に非常に手を焼いた」。

 

詳しくは、幣HPの「2004年ヴァンダンジュ ドメーヌ・クロード・デュガにて」と、別の媒体で報告したいが、今年のミレジムの最後の決め手は天候よりもむしろ人為的なもの、そう「超・厳しい選果」。個人的にはこれだと思う。そして喜ばしいこととしては、成長期を堪え忍び、どうにかインディアン・サマーの恩恵を受け、かつ超・厳しい選果を経たブドウが正しくワインに導かれた時には、恐らく「とてもブルゴーニュ的なワイン」に仕上がりそうな予感がすることだ。なぜなら生き抜き、選び抜かれたブドウは少なくないドメーヌで補糖しなくても良いレベルにまで糖度は上がり、かつ酸のレベルは高いからだ。難しかったミレジムが、苦しんだ末に意外な結末を生むことがある。この「意外な結末」が、どのドメーヌに訪れるのか?

また2004年は、ビオも進みつつあるこの10年のブルゴーニュ史の中で、最も病害と真剣に向き合わざるを得なかったミレジムの一つであるはずで、ビオ派生産者間では、工業的な栽培よりも絶え間ない観察を常としていたことが吉と出るか、一部の種類を除き農薬を使えないことが凶と出るか、という明暗もあるだろう。いや、ここ10年でブルゴーニュでは様々な新しい試みがあったのだ。それらの試みが正しかったのか、否か?その幾つかの答えは、このミレジムに集約されているかもしれない。そしてこういった状況が、どのように価格に反映されるのかも興味深い。価格に関しては、昨年大幅な値上がりを記録した「オスピス・ド・ボーヌ」に注目したく思う。

ともあれブルゴーニュ好きとしては、大いに関心をそそられるミレジムである(以上はあくまでも現時点の見解なので、修正事項があるかもしれないことはお許し頂きたい)。

 

(追記)

 9月の裏話で唯一私の読みが甘くなかったものがあるとすれば、それは「収穫人確保の難しさ」だった。地元テレビによると、酷暑の昨年よりは確実に収穫量は多いはずなのに、収穫人の数はブルゴーニュ全域で約3000人減であるらしい。

 

(注)

ブルゴーニュの収穫公示日は以下(「フランス食品振興会発行メールマガジンhttp://www.franceshoku.com/」参照)。

 

910日: AOCクレマン・ド・ブルゴーニュ
913日: 地域名AOC(マコネ、コート・シャロネーズ、クーショワ、オート・コート・ド・ボーヌ)、
村名AOC(サン・ヴェラン、プイィ・ロシェ、プイィ・ヴァンゼル、 ヴィレ・クレッセ、メルキュレイ、モンタニィ、リュリー、ジヴリー、ブー ズロン)、 AOC マランジュ(地域名、村名)
917日:  コート・ドールのクレマン
918日: AOCプイィ・フュイッセ
920日: コート・ド・ボーヌの赤
922日: コート・ド・ボーヌの白、シャティヨネのクレマン
924日: コート・ド・ニュイのAOC
925日: オート・コート・ド・ボーヌ
927日: シャティヨネ
101日:  オート・コート・ド・ニュイ
  (ブルゴーニュワイン事務局プレスリリース)

  

選果、選果、選果!!!

 

収穫開始時間は、午前7時半頃。畑に到着する時間は、朝焼けの時間でもある。

 確かに私は「ドメーヌ・クロード・デュガ」が、そのワイン、そして家族の人柄ともに大好きであるが、贔屓目(?)で良いことを書き連ねているわけではないことを先にお断りして、こう書きたい。「デュガのブドウは難しいミレジムにも拘わらず、綺麗だった」(もっともシビアなクロードに言わせると、「最終的にブドウとしてはごく平均」)。

 こう書けるのには訳がある。なぜなら今年の収穫時に私に与えられた仕事は「選果」。時折「ブドウを摘む方」にもシフトしたが、ほぼ全ての区画のブドウが私の目の前を通り過ぎていったからだ。私は畑仕事のドシロートではあるが、一応3年に渡って(?)4カ所で収穫し、また今回も時間がある時には畑を回ってブドウ・ウォッチングを続けると、時にドシロートでもアチャーと言いたくなる畑やブドウもある。そんな中、デュガの選果台には小振り&濃い色のブドウがどんどんとやって来る。これは単純に嬉しかった。

 

 ところで冒頭のコラムの中で、「ここ10年でブルゴーニュでは様々な新しい試みがあったのだ」と書いたが、その一つに「選果台」がある。そしてドメーヌ・クロード・デュガは約10年前、最も早く選果台をジュヴレイ・シャンベルタンに持ち込んだ一人である(恐らく最も早かったはずなのだが、約80あるジュヴレイの生産者一人一人に、尋ねて回るわけにもいかない)。

 そのクロードの今年の実験は「畑横選果」。そう、畑の真横に選果台一式を持ち運んだのである。クロード曰く、「カーヴにブドウが着いた時に、出来の悪い果汁が混じるのを防ぐための試み」。この「選果台の試行錯誤」についてはデュガ家には既に来年に向けての計画があるので、後日きちんとレポートしたいと思うが、一日本人・選果隊(?)としては作業中、頻繁に思い出されることがあった。それは縁日の「屋台」と「カルタ取り」である。

 ドメーヌ・クロード・デュガで現在使っている選果台は、ベルト・コンベアー式のものであるが、これを畑の真横で作動させるには、当然ながらモーターが必要になる。そして屋外でこのモーター音を聞くと、それは全く「屋台」のものと同じなのだ。グリオット・シャンベルタンを背に、フランス人に囲まれながら、何度「たこ焼き」に思いを馳せたことか!?そしてデュガのブドウに相応しくない房が目の前を通り過ぎて行く時、選果台に待機する数人の手が、一斉に同じ房に伸びることがある。選果は目が慣れてくると動体視力と反射神経が妙に研ぎすまされ(条件反射に近いかも)、その勝負師のような素早さ(?)は、まさに正月にテレビで放映される「カルタ取り名人」の世界である。これは結構、凄い。

 生産者が収穫時にこだわることは各自異なるものだろうが、ドメーヌ・クロード・デュガは恐らく「選果の鬼」である。実際、選果台を備えていても、どのように使うかはその生産者次第で、選果台が除梗機や発酵桶への単なる「ベルト・コンベアー」と化しているような生産者もいるのだから。

 

醸造、収穫の指揮を執りつつ、手が空くと収穫にも参加する当主、クロード。 朝のおやつタイム、「カスクルート(バゲットで作ったサンドイッチ)」片手に先代モーリス(ほれぼれする「ブルギニョン・じいちゃん」です。落ち込んだ日には、モーリスのことを思い出して癒された日もある私?!)