FQUIPAGES(エキパージュ)
〜エリック・マルタン氏、そして馬と土〜

(Cheilly les Maranges 2004.4.14)

 

 

 

昨年秋、クロ・ド・ベーズの畑にて。

 初めてエリック・マルタン氏と会ったのは、昨年の春、ルロワのシャルム・シャンベルタンの畑だった。当時はクロード・デュガ氏と親しげに会話するマルタン氏よりも、耕作馬の圧倒的な大きさに目を奪われ氏が何者であるかまでは気が回らなかったのであるが、その後ブルゴーニュに通い詰めるに連れ、氏の名前は頻繁に聞くこととなった。氏は「ワイン畑の耕作を、馬で請け負う会社『エキパージュ』の社長」であり、そして最も氏の噂として最も印象的だったのが

― エリックに仕事を頼みたい生産者は今や山ほどおり、エリックが顧客を選ぶ。

 

 今回、シャトー・ド・ポマールの栽培責任者として抜擢されたドミニク・ギュヨン氏の計らいでマルタン氏へのインタヴューが成立したが、ギュヨン氏が再度、念を押す。

「自分の信念があるからこそ、エリックは自由人だね。もし彼が馬で耕した後にトラクターを入れようものなら、その時点で彼との仕事はフィニ(終わり)さ。彼から切るよ」。

 では彼が引く手あまたであり、顧客を選ぶ理由は何処にあるのであろう?

 

馬で耕す 〜そのメリットとは〜 

 

 エリック(こう呼ぶ方が彼に似合う)は、自分の立場を非常に熟知した人である。つまり「馬で耕作する」という過去の手段を敢えて採用する時には、その効果が科学的分析により立証されなければ意味が無いことや、ブルゴーニュの景色の中で自分の作業がいかに「絵になる」かを知っている。

だからこそ最初に「目を通して」と渡された資料には、馬での耕作とトラクターによるものにおける、「ブドウ根の深さの違い」「使用する肥料がどのように変化したか」「ブドウ樹の仕立てにどのように影響するか」等がデータや文献としてぎっしりと書かれており、同時に自らの仕事が「ドメーヌの広告塔」として使用されることを、非常に嫌う。そして「馬での耕作は確かに有効であるが、万能薬でも決してない」とクールなまでに言い切れるのだ。そこでまずは「馬で耕作する」メリットを、エリックの言葉や資料から簡単に抜粋する(数字のデータは膨大になるので、今回は割愛したい)。

 

〜馬で耕すメリット〜

土が踏み固められていないために表土に存在する有機物の構成が整い、

  化学肥料の使用が減る、もしくは肥料の質も変わる

根がミネラルを吸収するのに不可欠なバクテリアの成長を促し、また根自体も深く土中に這う

* その土地由来である自然酵母の成長を促す

他に、

  豪雨の後、踏み固められた土は煉瓦状に凝固し通気性がより台無しになってしまい、その後の作業にも支障を来す(もっとも柔らかく耕された土は、特に斜面では表土が流されるリスクもある)。

* トラクターでブドウ樹をまたぐ必要が無いために、その区画に適正な高さでブドウ樹を仕立てることが出来る

トラクターでの作業より、ブドウ樹への破損が少ない

  ブドウ房の成長時に病害発生の発端となりやすいブドウ列の「端」まで、正確に耕すことが出来る

  区画毎の観察が増す

 以上の結果として土は健康に保たれ、「ブドウ樹の寿命の延び」「安定したブドウ房の熟成」「区画毎の個性の表現」が導かれる、という理論である。

 

現実問題として

 

 「確かに僕は、顧客を選ぶ。シャトー・ド・ポマールの依頼も、そこにドミニクという栽培責任者がいたからこそ、引き受けたんだ。依頼者の畑を見、その依頼の中に土を育てる確固たる意志と覚悟を感じなければ仕事を引き受けようとは思わない。『ビオに取り組んでいます』という、パンフレットの写真撮りのために僕を雇うのなら、真っ平ゴメンさ」。

 そう語るエリックも、生産者の意識が変わりつつある昨今は依頼が激増している為、昨年は従業員を一人雇い入れ、また年内には耕作馬も1頭増える予定である(現在は4頭である)。だがそれでも現時点では全く需要に追いついていないようだ。

なぜならブドウ畑の1年において「鍬を入れる」場面は何度かあるが「馬での耕作」も同様で、エリック曰く一つの区画に対して年間で、最低でも8回の行程が必要であり、その作業はトラクターでの作業より当然ながら恐ろしく時間がかかるからだ。例を挙げれば収穫後の作業である、冬に備えた「土寄せ」作業に要する時間は1haあたり10〜16時間である。加えて作業に適した時期は各顧客ともほぼ重なるので、ピーク時には日曜日すら休みは無い。また各顧客にとって対等な「土壌作り」のパートナーである彼は、作業後の顧客に対する的確な報告も欠かせない。要するに顧客を増やすことによって仕事の質を落とすことは許されず、彼が耕すことの出来る畑は必然的に限られてしまうのだ。

同時にエリックに仕事を依頼できる「財力」があるドメーヌはごく少数であるはずで、「依頼したいが、金は無い」というのが多くのドメーヌにとって現実であろう。そもそも1960年代に除草剤があっという間に普及したのも、「人件費削減」に大きく寄与したからである。「良いワインを造るためには、貧乏に耐える必要がある」とはあるビオに見識の深い知人から聞いた名言(?)であるが、特に「有機的アプローチ=人件費がかかる」を完遂するためには、「豊潤な資金」もしくは「ワインが認められるまでの耐貧乏」が強いられる。

例えグラン・クリュであっても、ブルゴーニュで満足に手入れされていると思える畑はまだまだ少ない。だから『今』こそ土を育てていかなければ後が無い、という局面のブルゴーニュで仕事を出来ることは、チャンスを与えられているのだと思う」というエリックの言葉に、ブルゴーニュにおける山積みの問題が内包されている気がするのだ。

 だが一方でエリックによると、「2003年は『土寄せ作業』後を見る限り、例えトラクターであってもダメージは少なく見えた」。

実際私自身もブルゴーニュに限らず他産地でも、トラクターの軽量化に取り組む生産者達に出会うことがある。彼らは時に手作りトラクター(!)で、自分の畑に負担をかけない方向に移行中なのだ。ともあれ「土を踏み固めることの弊害」に対する見識は、様々な方面から徐々に浸透しつつあることは確かである。

 

エリックという人

 

 エリックが馬による耕作を「ワイン畑」に特化したのは1999年のことであり、それはエルミタージュのルイ・シャーヴやシャプティエであったという。その後産地を北上、マルセル・ラピエールとの仕事を経て、2001年以降はブルゴーニュが根拠地となった。現在ブルゴーニュにおける顧客はルロワやシャソルネイなど約15のドメーヌである。

 それにしてもこの人は、「ブドウ畑が決まる」人である。長身かつ痩身、時にタンガリー・ハットという出で立ちで、畑に馬と立つ。馬を指示する声は落ち着いた低めで、良く通る。作業が始まると何とも言えないプロのオーラが漂うのだ。そして作業後、トラックから無造作に昼食用のワイン・ボトルを取り出す仕草、さくっとしたワインへの愛情が滲み出るその飲み方。パリでは高名なソムリエ達に出会うこともあるが、彼らとは全く質の違う軽やかなカッコ良さがある。エルミタージュから馬を引き連れて流してきた、という話も当人に苦労はあったろうが、ドミニクの言葉を借りれば「自由人 エリック」を感じさせ、好きである。彼を広告塔にしてしまいたい依頼者の気持ちも、分からないでもない。

 ちなみに前職は「大工さん」であったらしい。どの分野の大工さんであったかまでは知らないが、イメージ的には工具片手に仕事を選ぶ、腕の立つ「匠」である。

「ワイン造りの原点は畑さ」

エリックはこの言葉をサラリと言え、かつ聞く者に素直に響かせることが出来る、数少ないワイン関係者の一人でもあった。