裏話 3月

〜日本で飲んだ、最高のニコラ・ジョリィ

Savannieres Coulee de Serrant  Clos de la Coulee de Serrant 1994

 

 

 

 

この色。2日後はカリンやミネラルが際立ってくる。翌日に自然光で撮影。

 再渡仏を目前に控えて、大阪の自宅にある「気になるワイン達」を夜な夜な開栓する日々である(ダンナは私の留守中には私の「気になるワイン達」に手を付けない、忍耐強く、心優しい人なのだ)。そして昨夜のワインは「ニコラ・ジョリィ クロ・ド・ラ・クーレ・ド・セラン 1994」だ。

  

 話を大昔に戻すと、私とニコラ・ジョリィのワインの出会いは私の百貨店時代にまで遡り、それはとてもヒドイものだった。しかしワインに罪は無かった。なぜならニコラ様のワインは、贈答用の箱に入って、私の目の前に現れたからだ。

 そう、百貨店における「贈答用の箱」。これはほぼ、中元や歳暮のアイテムを意味する。そしてニコラ様のワインは「自然とカラダに優しい、有機食品をセレクトしました!」というカタログのコーナーに選ばれてしまったのである。私が退職する数年前からは、夏期のワインの配送に「クール便」が採用されたが、最悪なことに、この時はまだ夏であれ顧客が指定しない限り「普通便」の時代だったのだ(だが百貨店が専門店でない限り、ワインだけを特別扱いするのが難しいのも事実だった)。夏のトラック内の温度を考えただけでも恐ろしい。加えて当時、私自身も、またワイン顧客にとっても「ビオディナミ」という言葉は殆ど馴染みのない物で、扱っている売り手側も、ワインを受け取る側も、このワインが他のワイン以上にデリケートであることを全く把握していなかった。

 結果ニコラ様のワインは返品が続出、数期を経て打ち切られてしまったのである。受け取った方だけではなく、送った方の怒りも時に大きかった。「1本7000円もするワインを送ったのに、先方に喜んでもらえなかった」てな感じである。

 返品の原因を知るために、その1本を開けたところ、確かに哀しい味わいだった。しかし何度も書くが、ビオディナミの概念は愚か、SO2の添加量一つ取っても生産者達がいかに苦労して「自然な味わい」を送り出そうとしているのかを全く知らなかった当時の私は、ここまで壊れてしまう理由が明確に分からなかったのである。

 その後も何度か出会いがあり、それらの状態はまだマシだったが、絶賛される理由がわからないまま飲む機会も失して、渡仏したのだった。

 

 ニコラ・ジョリィ観を変えてくれたのは、一昨年パリで開催された「ビオの生産者の試飲会」だ。ニコラ・ジョリィのブースにはカラフが置いてある。その中にあるのは、見たことのない黄金色を持つ飲み物だ。しかし横にあるボトルは1999年。このミレジムにして、この色合い?疑問が頭をもたげるが、その疑問はすぐに解けた。

 マーク・アンジェリ氏に「このフロマージュ、美味いぞ」と薦めるニコラ様の横で、ブースの女性はグルグルとカラフを振り回し(?)ている。するとカラフの中のワインが徐々に色を深めていく。

「まだ若いから、風味を開かせたいの。本当は何日後かに飲んでほしいけれど」。

彼女はそう言って、グラスにワインを注いでくれた。電気が走る。ニコラ様、ゴメンナサイ、これが本当の味わいだったのね。感激と共に、心の中で何度も詫びた。

 そしてそれに限りなく近い味わいが、今宵開けた1994年にある。

 

 一言で言えば、栗、栗、栗。ホッコリとした焼き栗のオンパレードである。そして微かなカリンなどの色の濃い柑橘。口に含むと、十分な甘味と共に、旨味をまとった辛味、長く続くトコロテン様の海のミネラル。

 カラフに移し替え、ブースにいた女性がやっていたようにカラフを回す。既にこのワインの力を確信していたので、振り回すことに何の躊躇も無い。回す、回す、回す。色が深みを増したところでカラフに香りを溜め、少し待ってからグラスに注ぐ。う〜ん、焼き栗がモンブランの栗へ、そしてリキュールのアマレットのような香りを始め、ノワゼット、マルメロ、、、、。品のある豊かなナッツが溢れ出す。ノワゼットや豊かさ、辛味は時にムルソーを彷彿とさせ、でも余韻のミネラルは紛れもなくロワール。そして翌日になると、カリン様の果実やミネラルが起きあがってくる。

 1994年は特に秀逸なミレジムではなかったと記憶しているが、それでこのレベルなのだ。脱帽である。

 

 ちなみにこのワインは日本で購入した物だ。反論があるかもしれないが、私自身はフランスから直送、あるいは手で持ち帰ったワインの方が現地の風味に近く、寿命も長いと感じている。それはビオのワインでなくても同様だ。

 しかし同時に、日本への輸送環境や、各ワインショップの気配りもここ十年の間に格段に改良されたのではないだろうか。もちろん最初に述べた百貨店時代の例は非常に良くなく、個人のショップではもっと早くから、何らかの工夫が試行錯誤されていたのだと思う。だがそういった個人レベルの小さな試行錯誤が、輸送や陳列の常識を徐々に変えていき、それがワインの味わいにも反映されてきたのを舌で感じる。それは消費者にとっても、生産者にとっても嬉しいことである。

インポーターの皆様、ショップの皆様、ありがとうございます。昨夜の1994は、そんなことを強烈に感じさせてくれた1本でもあった。