裏話 3月

〜飲む度に深まる、ルロワの謎〜

 

 

 

 

ルロワのワインは私にとって、最も謎深いワインの一つだ。矛盾に満ちている。その矛盾とは「絶対的な品質」と、聞こえてくる「マダムの仕事ぶり」である。

 

ワインの品質や、マダムのテイスティング能力についての絶賛は私がここに書くまでも無く、日本でも紹介されたマダム・ルロワの本は美しい逸話で構成されていて、あの本に感銘を受けた人も多いと思う。

だが一方で、ビオディナミを実践する彼女に対する批判が現地で何と多いことか。それは彼女がブルゴーニュでは早い時期からビオディナミに切り替え、化学薬品をふんだんに使用する生産者達を糾弾したから、という単純な話ではない。それは畑の様相(結実していない樹が多い、剪定がなっていない、収穫人のレベルが低く彼女の収穫人に対するケアも冷たい、挙げ句の果てには彼女が畑に立っているのを見たことがない)に始まり、とにかく醸造のレベルに至るまで「現場主義ではない」ということが非難され、商才に対しても、またもや口さがなく言われるのだ。

当然ながらルロワへの訪問はブルゴーニュ最難関の一つであり、私がマダムと出会ったことはたったの2回、ニコラ・ジョリィ氏が主催する「ビオ・サロン」のみである。日本人から見ても華奢に見えるマダムはその存在感からは信じられないほど小柄であり、ピンクや白のシャネルのスーツに、ワインのシミが付かないものかと要らぬ心配をしたものだ。だがとにかく私はセラーでマダムの話を直接聞き、その人柄に触れることが叶わないのだから、自身で判断することが不可能で、結果的に辛辣な噂話を耳にすることしか出来ないのだ。ただ噂話を鵜呑みにすることだけは絶対に避けたいと思っている。また彼女の特集などに目を通す限り会話は完璧かつエレガントで、その言葉はワインを愛していない人のものとは思えない。

しかし、一つだけ言えることがある。それはマダムのワイン(所謂ネゴシアンものでないもの)を口にした瞬間に、様々な噂話が「やっかみ」しか聞こえなくなるほど抜きん出て美味い、ということだ。完璧すぎるほどの結果オーライである(マダム、すみません。あなたにカーヴで会うチャンスが訪れない限り、私はこういう書き方しかできません、、、)。

 

帰国中、とにかく私はダンナと気になるワインを開栓した。そして我が家は基本的に「家庭内ブラインド」。一方がワインを選び銘柄を明かさずに、相方に出す。マニアックと言われても、銘柄主義に対するちょっとした反抗心と、単純に舌を鋭敏にしておきたい気持ちがあるからである。

ダンナがある日、1本を選び出した。ボンヌ・マールの1997年であった。香りをかいだ瞬間に、DRCとアンリ・ジャイエを思い出すが、そのどちらでもない。非常に乱暴な言い方をすればミルクのニュアンスがアンリ・ジャイエ寄りの、DRCである。しかしドメーヌ・ドーヴネのワインを口にしたことなどは、ムルソーなど白を含めて片手に収まるほどしかなく、ましてやボンヌ・マールは初めてで、初めて飲む味わいに「これはルロワだ!」と言い切れる経験が私にはない。日本に紹介された本によるとマダムは「ワインを聴きなさい」と語ったそうであるが、素直にワインが表現しているものを感じることに集中する。集中せざるを得ない、凄いものが溢れ出てきている。

まず感じたことは、このワインが飛んでもない「格」を持っている、ということ。DRCやアンリ・ジャイエを思い出し、これはグラン・クリュであるという選択肢しか浮かばない。ヴォーヌ・ロマネを彷彿とさせる香水のようなバラやスミレがあるのに、ねっとりとしたミネラルは土を非常に感じさせる。天と地の完璧なる真ん中にあるグラン・クリュ、と言えば「シャンボール・ミュジニィ」側のボンヌ・マールが真っ先に思い当たる。「フランスで購入した」というヒントがあったので、やや熟成が始めっている点を考えると、1990年代前半、というところか。しかしこのワインの持つイメージのミレジムが、1990年代前半に無い。ここでブラインド・テイスティングはギヴ・アップ。

ラベルを見て最も驚愕したことはルロワというドメーヌが持つ格よりも、ワインがここまで「土地のイメージを映しとれる」ということだ。私のテイスティング能力の問題ではなく、ワインにイメージを思い浮かべて推測を進める人ならば、きっと誰でもボンヌ・マールに行き着いたと思う。

ただ残念なことに少し疑問は持ちつつ香りはOKとしたものの、口に含むと微かなブショネ。フランス人の言う「トレ・レジェモン・ブショネ(ごくごく僅かなブショネ)」であった。レストランで突き返すことは微妙すぎるくらいのブショネである。だがそんなコンディションにも拘わらずテロワールのイメージが体現されていることは驚異的で、感動してしまったのだから、もしレストランでこのボトルに出会っても結局はそのまま飲んだと思う。しかしフランスで購入したにも拘わらず(個人的には、フランスから直接持ち帰ったものの方が、熟成は遅く感じている)1990年代前半と感じてしまった理由は、この極軽のブショネのせいだったのかもしれない。そしてこれが完璧な状態だったら、一体どんな世界を展開してくれたを想像し、身震いしてしまうのだ。

 

不思議だ。飲む度に不思議だ。「マダムの仕事ぶり」に関する噂話が真実で、この味わいが生まれるのなら、他の生産者達は立つ瀬がない。と言うか、常識ごとひっくり返しそうな勢いである。もしくは、もしマダムが現場にいない人であるのなら、マダムのオーラがドーヴネの館を満たし、才能のある醸造者や栽培人が奇跡を生み続けているとしか思えない。そしてどちらにせよ、マダムの存在感無しに、このドメーヌは語れない。

門戸はごく僅かの人に開かれ、噂が噂を呼び、一方で奇跡的な味わいを生み出すドーヴネの館。謎である。