裏話 2月 その2 〜 ワインの「イメージ」 例えばビオ 〜 |
5年前まで私は百貨店でワインの販売に携わっていた。当時、「ワインはどうも好きになれない」という人たちに味覚的な理由を尋ねると「渋い」か「酸っぱい」。こう書くと反論も出てきそうだが、ともあれこう述べた人たちは今まで飲んだワインに素直にそう感じた結果、相容れなかったのだから、まずはその感想を販売員は尊重すべきだと思った(ところで味覚以外の理由では、私が思うに「面倒くささ」に尽きると思う。横文字、多様性=選択肢が多すぎる、開栓後も含めた保存方法、飲み頃、何と合わせるのか、等々。接客時にソムリエ流の正論を下手に用いると、それは時に皮肉にもワインへの垣根を高くするのみで終わってしまう)。
一方で、あの「赤ワインブーム」が巻き起こった時、1日に1回はお客様に尋ねられたのは、「この売り場でポリフェノールが一番多いのは、どれなん?」。まぁ大阪なので、他の地域とは少し異なる特殊なノリがあったのかもしれない。だがもちろん「これです!」と断言できるワインがあるわけでもなく、ここは明らかにタンニンの多そうなワインとなるわけだが、そう尋ねられる方には先述の「渋いのはキライ」派も多い。しかし「健康にイイんやったら、多少渋ぅても鼻つまんでも飲むわ。血、ドロドロって先生に言われたしな」と言われた時には(「鼻をつまんでも渋いモンは渋いで、お客さん」とは当時よく発した心の声だ)、結局少しでも渋みを和らげる方法も説明するのだが、これを「あ〜、面倒くさい説明やな」と思われずに成し遂げる(?)のは、最初は結構難しかった。
そしてもう一つ、ブームと関係無くよく聞かれたのが、「無添加のワインって、どれなん?」。この場合は酸化防止剤である二酸化硫黄を添加していない」ということだが、「ポリフェノール探し」と同様、味の好みを尋ねる前から「不味くてもいいから」と、バッサリ切られてしまうことも少なくはなく、これまた一ワイン好きとして何とも寂しかったものである。
こんな昔話を思い出したのは、今月に入りワイン誌の記事を書く際に、「フランス人が、ビオを選ぶ時の理由」を、幣HPでも紹介させて頂いている「ル・ルージュ&ル・ブラン」の前・編集長タミジエ氏に伺ったり、統計を調べる機会があったからだ。詳しくは次号の「リアルワインガイド」を読んで頂ければ幸いだが、要するにフランス人や欧米人のまだ多くも、「ビオワイン」=「健康にも環境にも優しそう」のイメージ先行から、購入しているケースが多いようだ(この場合、欧米人も大阪のポリフェノール時代同様、味が二の次になる)。
実際、フランス人のビオ食品への関心は年々高まっており、それは統計を調べなくとも、スーパーでのビオ・コーナーの拡大や、街中で見るビオ専門店の増殖ぶりからも察せられる。そう、「ビオであること」はワインに限らず、消費者にとっては「安全の目安」に、生産者にとっては「商売」になるのである。そんな中ワインにおいて、ビオは健全な「ブドウ」を得るための「栽培の」最低条件として実践し、ビオ実践を語らずとも、そのブドウを人為的な介入を避けながら「本当に美味しいワイン」に醸造で導こうとしている生産者達は、本当に尊敬すべき存在だ。同じビオでありながら歴然としたこの両者の「違い」は、もっと世にキチンと知られるべきだと思う(先日出版された大橋健一氏著「自然派ワイン」の帯にある、「ビオワインはおいしくない!と思っていませんか?」という言葉が、この「ビオワイン」と一括りにされながら、味わいも生産者の哲学も実は玉石混交な現状を、端的に表しているのではないだろうか)。そして今のビオワインに少し感じられる、ブーム感。ポリフェノールほど分かりやすく全国的な規模でもないが、これには少し不安を感じてしまう。なぜならブームはブームである限り、表面的に取り上げられることが多く、「本当に自分が好きなものは何なのか」を却って見つけにくくし、やがては終息してしまうからだ。少なくとも真の生産者達のワインは、どんな時でもブームから一歩離れて、素直に飲まれ愛され、その人気が続いてほしいと、個人的には願って止まない今日この頃だ。
ところで、最後にもう一度、大阪時代(?)に話を戻そう。
あの頃は私にとっても、ビオディナミどころか、なぜ一部の人たちがそこまで「無添加」にこだわるのかが分からなかったし、ともあれ「不味くてもいいから」と言われれば、正直テンションも下がった。また「体に良くて、クセの無いやつ」というリクエストも多く、しかし「クセと個性とは違うのだ!」というような理屈は一般的な接客では望まれず、地団駄を踏んだものだった。
だが「これだと次の日、頭が痛くならないのよね」の言葉には、もっと真剣に耳を傾けるべきだったと思う。フランスのビオワイン購入者の多くが、まずは「有機栽培」イメージから入ったのに対し、いきなり「添加物」を遠ざけ始めたあの当時の一部の大阪人達は、一部のフランス人消費者と同様、ある意味いち早く(?)、既に「自然派ワイン・スピリッツ」を育んでいたのかもしれない。そう、「クセの無いやつ」という言葉だって、私自身がもっと素直に「飲みやすさ」を探せば良かったことなのだ。
ともあれ百貨店時代を振り返る時、そこは自分のミスも含めて苦笑の連続だ。しかしあの時代と、贔屓にしてくださったお客様がいらっしゃったこそ、ワインの今に関心が持てる私もいる。ありがとうございました(この締めは文章の本題からはずれるが、やはり感謝の気持ちは記しておきたく)。