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〜 大阪にて、ムートン1945を利く 〜

 

 


  一生飲むことは無いのでは、と思わせるワインはこの世に存在する。その中でも「シャトー・ムートン・ロッチルド 1945」というのは「私には絶対に縁が無い」という諦めすら起こさせる。だが今回、幣HPにも時々アドバイスをくださる毛利 征三郎氏のご厚意で、1945年に出会うことができた。また1945年だけでなく、1995年から始めたムートンの垂直試飲(計8ミレジム)は、「過去のミレジムの今の姿」を知るためにも、とても貴重な経験だった。

 そこでこの「裏話」では、各ワインの簡単なテイスティング・コメントをレポートしたい(ワインのボトル差、購入や保管方法によって同じ銘柄でも味わいが異なるであろうことは、前もってお断りしておきます)。

  

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1995

いかにもポイヤック、な要素が揃う。そう、鉛筆の芯を彷彿とさせる硬質なミネラル、森林、熟したカシス、薬草と一緒に煮詰めたようなミルクのニュアンス、少しの墨汁、、、。香りは既にワインに溶け込み、微かなココア・パウダー様の甘さを感じる香りが、タンニンの細かさ、心地良い余韻の苦みと非常にマッチする。余韻も上品に長く伸びる。だがこの端正さは、5大シャトーの中でパワフルさを最も感じるムートンと言うよりも、むしろラトゥールやラフィットを思い出した。最近飲んだムートンの中では、2002年がこのような印象を持つ。

 

1986

香りに感じられる要素は1995に共通するが、何よりもポテンシャルが凄い!味覚的には1995より若く感じられるほどにワインはまだ固く閉じ、そして閉じながらも驚異的な求心力、旨味の粒子の緻密さがある。余韻には熟したブドウの存在をハッキリと感じる、心地良い熱さ(しかし全く「過熟」な下品さは無い)。根気よくグラスの中で開かせると、ワインにショコラ・トリュフのような細かい甘味が増していくが、私の味覚が衰えないうちに熟成のピークを迎える(20年以内?)気配は、残念ながら全く、ナシ。

 

1975

スミレの香水や乾きかけた赤いバラ。カシスや黒いサクランボ(リキュール)、少しのなめし皮やスーボワ、ごくごく僅かなオレンジの皮、ひいて日数の経った黒コショウ。タンニンの細かさと堅牢さ。官能性と固さ、そして旨味とエレガンスのバランスは、ブルゴーニュ、そう例えば、熟成の入り口に立ったシャンベルタン・クロ・ド・ベーズなどに近く感じられた。ムートンらしさ(ボルドーらしさ)を求めれば少し違うのかもしれないが、個人的には魅力的に思え、この状態が非常に長く続きそうである。

 

1970

既にマディラ香や、スーボア、なめし皮といった熟成香が支配するが、カシス様の果実味も十分に感じられるブーケとアロマの交差。一方口に含むと、熟成よりもねっとりとした果実が支配し、余韻には熟した果実由来の充実したアルコールの高さ(やはり1986同様、過熟ではない)がある。最終的に香りよりも味わいがより複雑で、熟成香がかなり入っていても、晩熟タイプであることを感じさせられる。

 

1967

ココア・パウダーや、挽きたてではないコーヒーの豆、粘土(土壌が、という意味ではなく文字通りの粘土の香り)、油彩絵の具、スーボア、なめし皮。重さと軽さが交互に感じられる、不思議な香り。味わいにはカスレ豆を食べた時のような良く言えばホッコリとした甘さと、悪く言えば粉っぽさがあるが、決してパサパサした味わいではなく、むしろタンニン自体はシットリと感じられる。また余韻も結構伸びる。ここは古酒に親しんだ毛利氏の言葉を拝借すると、「これはラトゥールなどには無い、熟成したムートン特有の甘さ」であるらしい。

 

1957

1967には油彩絵の具を感じたが、ここにあるのは水彩絵の具。花で例えると、みずみずしい(一歩間違えると生臭い)菊や、花粉がタップリついたユリ、アヤメの香り。またもう一つ「臭い」(良い意味で)と言えば、本当にムートン(羊肉)の香りが微かにある。口に含むと滑らかな酸味、そしてここに来て旨・辛味(1967まではむしろ旨・甘味であった)が生まれた。以上の私の表現では「余り美味しそうに思えない」(?)ワインに思われそうだが、なぜかこのバランスで「美味い」のである。

 

1950

今回のワインで液面が最も低かったワインだが、なぜかザーサイのような香りが(少しごま油を感じるオイリーな漬け物、といった感じなのだ)?また果実も赤いものは消えていて、むしろキンカンの砂糖漬けのような柑橘系である。だが口に含むとねっとりとした甘味に、細いタンニンが綺麗に溶け込んでいる。また余韻には、香りにあるものよりもシッカリとした酸が後半に消えゆく甘味を、頑張って引っぱっていく。香りにはやや首をかしげたが、口に含んで初めて分かる、この後ろ髪を引かれるような「気になる」甘味は、確かに1967で毛利氏が語ったように、「ムートン特有」のものの一つなのかもしれない。

 

1945

まずは私のテイスティング・ノートにハート・マークが飛び散って(?)いる。これはまとめて書くのを止めたい。なぜならこのワインには今までにない想像を促され、ノートを見ても、そのまんまの興奮の方が正しいと思うからだ。恥を忍んでノートの内容をそのままここに書くと、

「和室でお香を焚いている京都の冬山。異次元。森林に迷い込んだ。もしくは鳩居堂(京都の文房具屋)に入った香り」

まずはなぜか、冬の京都なのである???続いて

「動物っぽさ、そう、色気のあるフロマージュや究極の生ハム。でもカシスや退廃的なバラも上がってきた。ブルゴーニュ、ボルドーを語るのがアホらしい、ワインの桃源郷」

と記している。決して私は、酔っていたわけではないが、わびさびからアニマルや花の艶めかしい世界に入ってしまった。そして

「無駄なものを一切排除し、良質なものだけが残されて、それが変化する。エッセンスのようなピュアな甘味。驚異的な余韻の長さ!!!♡♡♡♡♡♡♡♡!ワインに浸ればよい、飲めて良かった」

 

 飲み手は制御不可能、なのが1945年なのだ。

 

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 この機会を与えて頂いても、近年はプリムールに参加しても、結局「ムートンとは何ぞや?」なんてことは言えやしない(またムートンとは、「イメージ外=既存のムートン観を覆す」を繰り出すワインでもある)。強いて言えば、この夜知った「魅惑的な甘やかさ」がその一つかもしれないが、熟成を経て生まれるこの「甘やかさ」を、私はプリムールからは正直に言って、想像できない(確かに2004年のプリムール等は、これはメルロー?と思うほどに甘味が乗っていたのだが、この甘さが品に変わるのか否かは疑問視している)。

 ただ一つ言えることは、「ムートン 1945の伝説は、嘘ではなかった」。これだけだ(まとめには全くなっておらず、スミマセン、、、)。

 

 最後に。作り手がワインに情熱を持つように、これだけのワインを探し調べ、大事に扱ってきた毛利氏も情熱(ワインに対する愛情)があると思う(そして氏は、決してグラン・ヴァンのみにこだわる人ではない)。この場を持って、氏にお礼を申しあげたく思います。ありがとうございました!!!

 

会場:

ワインバー「サンテ」

大阪市北区曽根崎新地1丁目6-23 杉の家ビル2