6/9〜10

〜作業人は、どこに?〜

 


 

今回のORGANISATEUR

自身で

 

今回のチーム・デギュスタシオン

渡仏直後の友人と、私

 

今回のスケジュール

6/9

パリ発

午後からTarlant訪問

ウイィ(エペルネ近く)泊

/10

11:00 Philippe Lemaire訪問

14:00 Philipponnat訪問

帰パリ

 

 今回のシャンパーニュ行きは、少々イレギュラーだった。本来なら他産地に行っている予定が諸事情のために延期、しかし締め切りも無いのにフランスにいながらパリに引きこもっていては、余りにも勿体ない。そこでパリから比較的近い、シャンパーニュ行きを急遽決定したのだが、RM系の生産者達は畑仕事のピーク時であり、一方大手メゾンは、最低でも1週間前のアポイントが必須(もっとも接客のお姉さんの案内でカーヴを見学するのは可能だが、色々質問もあるのでこれでは意味がない)。そんな中、急な訪問以来を受けてくださったのが、上記のメゾンである。

畑の路肩には、転々と作業人の車が。果たしてチーム・タルランはこの中に?

 しかし受け容れたからと言って、RMなどは一家総出で忙しく働いていることは変わりない。今回はタルランの畑に入りつつ現時点での成長状況を伺おうと思っていたのだが、畑まで行く空きの車が無い。そこでマダムは本日の作業予定区画を書いた地図を手渡してくれた。作業の可能性がある区画は2カ所あり、徒歩15分もかからず、ジェラールという作業長には私の訪問が伝わっているとのこと。そこで同行者と共に、風は涼しいが日差しは厳しい村を、畑目指して歩き出した。

 まもなく教えられた1カ所目の畑で、説明されたものと一致するようなバンを発見。コレか、と思って挨拶するも、「私はタルランではありません」。畑を貫く小道には、5〜600メートルに渡って、ポツポツとバンが見える。マダムの地図はアバウトだったので、先端のバンとも解釈できる。とにかくバンを見つけるたびに、「あなたは、タルラン?」と尋ねるしかないのだが、「いいや」「午前中は見かけたんだけどね」などなど、要するにチーム・タルランはいないのだ。それは2カ所目でも同様で、「タルラン、ウ・エ・チュゥ〜(タルランよ、あなたは、何処に?)」である。また教えられた作業長・ジェラールの携帯も、常に留守電となると打つ手が無い。連なるブドウ畑を眺めながら高台を歩いているだけでも楽しいと言えば楽しいのだが、わざわざこの地まで散歩をしに来たわけではなく、また同行者にも申し訳ない。日本人女性二人の「タルラン探し」は目立つのか、一度言葉を交わした作業人達は、道ですれ違うと「会えた?」と声をかけられるも、答えはノンである。

 仕方なくメゾンに戻り、車が出るのを待つことに。ようやく手が空いたタルラン家の長女・メラニーさんとチーム・タルラン探しが始まった(メラニーさん、スミマセン、、、)。

 最初は「ここら辺じゃないかしら?」と言っていたメラニーさんも、次第に「確かに、いないわねぇ」と言いつつ、捜索範囲(?)を拡大していく。「これじゃ足では無理だったわね。ゴメンネ。でも急用があって父や兄に連絡を取らないと行けない時に限って、父達の姿がかき消したように見つからなかったりするのよね」。まぁ、30キロ近くに渡って、40に分かれる区画(約13ha)を持つタルランだ。致し方ない。結局彼らと合流できたのは、作業終了1時間前。それでも親切なジェラールの説明の元、色々な発見もあり、それは「生産者巡り」でまた報告したい。

 

 話は全く変わるが、エペルネ近く、ウイィの村にもレストランは余り無い。またその数少ないレストランも開店閉業状態(?)だったりする。そして私たちが飛び込んだレストランもやはり「開いているけれど、営業はしていない」のだったが、ここで作業後の一杯をやるジェラールと再会。

「エペルネまで往復したら、彼女たちは何十ユーロもかかるんだ。なんか作ってやれよ」と、オーナーに詰め寄る(?)ジェラールと、根負けしてキッチンに入るオーナー。お陰で私たちは夕食にありつき、そこにいた他の生産者のシャンパーニュを生産者自身からご馳走になり、私たちを含めて計4人のみの客+オーナーで、何となくおしゃべりしつつ日が暮れていったのであった(今は10時近くでもほんのり明るい)。

パリからエペルネまでは約1時間。エペルネからウイィは車で約15分。2007年、TGVが開通したらこの時間は著しく短縮されるのだろうが、ウイィとパリに流れる空気は、余りにも違うのであった。

 

まぁ、この風景を眺めながら散歩するだけでも心地良いのだが。 シャンパーニュ版シーサー?何となく、愛着が湧いてついパチリ。ウイィにて。