アンリ・ジャイエ氏の告別式に参列して



 

 

参列者が去ったヴォーヌ・ロマネの教会。午前11時半頃(教会の時計は止まったままなので、実際の時間とは合っていない)。ある一日の午前の終わりは、まるで何事も無かったかのように静かだった。


 9月24日、シャトー・ド・ポマールでシャルロパン氏にお会いした。「アンリの告別式は26日だ」。

私はカトリックの告別式がいかなるものかは全く知らない。また赤の他人である異教徒が参列してもよいものか。しかしジャイエ氏は私を全く知らなくても、私自身は氏のボトルから「忘れられない記憶」というものを頂いた。そもそも2002年の渡仏前は「アンリ・ジャイエ家に居候して、氏の日々の言葉を後生に残せたら」という、寝ぼけたことまで考えていたのだ。氏の功績を記録として残す偉業はジャッキー・リゴー氏が既に行っていたことや、体調不良を知った後は、「いつかゆっくり話が出来れば」と考えていたが(ドニ・モルテ氏の時もそうだったが、「いつか」という曖昧な希望は叶わないものだ)、少なくとも氏の存在は私の渡仏への動機の一つだった。「尊敬していた人を見送りたい」という気持ちに無礼は無いはず、とヴォーヌ・ロマネの教会に向かった。

 

2006年のコート・ドールは、収穫が始まっても天候は不安定だった。「微気候」が特徴であるこの地らしく、ジュヴレイ・シャンベルタンとヴォーヌ・ロマネという10キロ強の距離の違いでも、降雨状況などは異なったという。しかし告別式の行われた9月26日(火)午前10時。まさに全てのヴィニュロンが収穫期間中に望むような青い空が広がった。夏の面影を残すくっきりとした太陽と、秋を感じる冷涼な風。バッカスは現代のワインの神様の最後の場に、素晴らしい天候を用意したのだと安堵した。

ヴォーヌ・ロマネの小さな教会に続々と参列者が到着する。日本でも有名な氏と縁のあったドメーヌ達、リジェ・ベレール、メオ・カミュゼ、シャルロパン、セシル・トランブレイ、イヴ・ビゾ、ルー・デュモン、アラン・ビュルゲ、ジャン・タルディ、ユベール・ド・モンティーユ、遠方からはディディエ・ダグノー、、、。そしてDRCのヴィレーヌ氏やフェヴレイの前社長、一方でジャッキー・リゴー氏やフランスソムリエ協会・会長ペルチュイゼ氏。猫の手も借りたいほど多忙な収穫期間中に、それでも人々は既に引退した一人のヴィニュロンに敬意を表するために集結した。

カトリックの告別式の流れが理解できないまま、皆が弔辞や歌を捧げる時、とにかく「ありがとうございました」と「ご冥福お祈りします」だけを心の中で繰り返す。11時15分。やはり素晴らしい空の下、教会から棺が出棺された。

 

氏の訃報はニューヨーク・タイムズや、日本では朝日新聞にも掲載されたと聞く。私は地元誌「ル・ビアン・ピュブリック」の記事のみ目を通したが、「彼が数年来、病と闘っていることは知っていた。それでも私たちは彼の伝説のような名声は永遠に続いていくような気がしたのだ」という一文が、何よりも私の思いに近い。