生産者巡り 裏話 20078
DRCのヴァン・ド・ターブル
Les Amis de l’Abbaye(レ・ザミ・ドゥ・ラベィ)」

 

 

 

Les Amis de l’Abbaye。名前の意味は「修道院の友」。理由はこのワインがサン・ヴィヴァン大修道院の修復のために造られているため(詳しくは弊HP「フランスの小さなワインニュース 2002」参照)

 ブルゴーニュ行脚を翌日に控えた七夕の日、弊HPでお馴染みの「グラン・クリュ・クラブ」のテイスティングで久しぶりにDRCのブルゴーニュ・オート・コート・ド・ニュイを飲んだ、、、と書きたいところだが、2005年ミレジムはヴァン・ド・ターブル表記になっている。名前は「Les Amis de l’Abbaye(レ・ザミ・ドゥ・ラベィ)」。

 

 DRCに直接質問する手段は未だに持っていないので、ここからは購入者である須藤氏や、購入先であるパリのワインショップ「ルグラン(Legrand)」から聞いた話と推測なるが、「INAOからオート・コート・ド・ニュイとして認められず、カテゴリーの格下げを行った」というのが理由らしい。

 INAOがAOCを認めない時、その理由は栽培条件や醸造・熟成条件から、アルコール度数などの分析検査、そして試飲検査があるが、試飲から察するかぎり、どうも「試飲検査」で引っかかったのではないだろうか?自然派ワインの生産者がよく呆れて話す「INAOにワインがこのアペラシオンらしい味わいではない」と判断されたというものだ。

 試飲はブラインドで行ったが、私も正直、「おそらくフランスのシャルドネ?」「とても素性が良い」くらいまでは推測できても、生産地や生産者は全く見当がつかなかった。ワインのテイスティング・コメントは以下(ワインは19時頃抜栓・デキャンティング、20時頃試飲)。

 

ミントやユーカリのアロマオイル様の揮発性。焦がしバター。カリン、オレンジやオレンジの皮、マロングラッセ、柔らかで上品な樽香。

糖度の高いブドウ由来のヴォリューム感がありつるりとした口当たり(やや貴腐ブドウが入っているような丸味)。充実したミネラルや果実味がワインに集中力を与える。余韻には甘み・心地良い苦み・柔らかな酸味がしっかりと長く残り、バランスも良い。

ヴォリューム感から一瞬「マルサンヌ・ルーサンヌのエルミタージュ?」と感じるが、余韻のアルコール感は、もっと涼しい場所で収穫されたブドウのニュアンスで、香りにあるバターから察するとシャルドネのワイン。全体的な印象としては、樽香はあるものの嫌味ではない上品な使い方や樽材自体の資質の良さ、大切に育てられたブドウが丁寧に醸造・熟成された味わいを感じることから、優秀な生産者の手によるもの。また価格は恐らく著名生産者と察した理由で、近年の彼らのワインの価格高騰を考慮して、市場価格で50ユーロを推定。

 

らしいか、らしくないか?

 9名いたテイスターの中で、DRCのオート・コート・ド・ニュイと見破ったのは、ステラマリア(パリ)のソムリエ・宮川氏のみだったが、彼は1週間くらい前に試飲したばかりとのこと。これをオート・コート・ド・ニュイとすぐに言える人は、普通はいないのではないだろうか。ただし「らしいか、らしくないか?」は、それが全てのケースにおいて、ワインの良否やAOCの格付けに繋がるものではないと思う。

 

 2005年の好天の中、DRCがオート・コート・ド・ニュイを造ったらこうなった、という答えがグラスの中に単純にある。もしINAOが「らしくない」という理由でオート・コート・ド・ニュイ呼称を認めなかったとすれば、納得はいかない。またパリのワインショップ「ラヴィーニャ」の店員によると、糖度が高すぎたことが原因というが、ブドウが成熟しすぎてアルコール度や残糖度が上がってしまうこともミレジムによってはあるだろう。「らしくなさ」が栽培から醸造まで丁寧に仕上げた結果の「らしくなさ」で、しかもワインが健全ならば、農産物であるワインにその判定は矛盾すると思うのだ。

 

 ところでオート・コート・ド・ニュイや、オート・コート・ド・ボーヌはまだマイナーな産地ゆえ、一般的にはごく普通に(?)農薬や化学肥料を使い、収量も高く、機械摘みが多い。しかし一部のやる気のある生産者たちにとっては、周囲が森などの独立性の高い畑も多いので、そこでビオや厳格なリュット・レゾネを行い、収量を抑え、手摘みし、熟成にも必要であれば樽を使う。そのようなオート・コートは、良い意味で「えっ、これがオート・コート?」という仕上がりを見せる。テロワールを生かすも殺すも人次第であると常に思うが、一つのアペラシオンに対してステレオタイプなイメージを持ちすぎることは危険である。それは一つのアペラシオンや畑の持つ可能性や、そこで働く人たちのモチベーションを制限してしまうと思えるのだ。自身のテイスティング・ノートには、時折「アペラシオン超え!」というコメントがあるが、こちらの持つイメージを打ち破るワインと出会ったとき、それは嬉しい発見であり、生産者に感謝したい気持ちになる。

 

 ちなみにこのワインのパリでの販売価格は、ショップにもよるが20―27ユーロ。私の推定価格50ユーロは「著名生産者」と察した時点で先入観があったわけだが、ヴァン・ド・ターブルで20―27ユーロというのは一般的には非常に高い。だがDRCであろうとなかろうと、このヴァン・ド・ターブルはワインとして十分に美味しく、また数年後に何度か飲んでみたいと思わせる味わいだ。20ユーロならお買い得、27ユーロでも妥当な価格だと思う。

しかしDRCという名前ゆえに、日本での価格は過去もネット上で軽く1万円を超えている。1万円を超えるならば、私はDRCの稀少性を楽しむよりも、別のお気に入りのワインを数本買って、ワインを楽しめる回数がより増える方を選ぶと思う。