8/ 11 〜16 

〜ブルゴーニュにてジャイエ、リヴェンジ!そしてオークションへ〜

 

今回のORGANISATEUR

 今回は「GRAND CRU CLUB(グラン・クリュ・クラブ)」の須藤氏が旅程から配車を手配。そして生産者とのアポ取り役は私だったが、ヴァカンスのピークの為玉砕。

 

今回のチーム・デギュスタシオン

 

須藤氏、7月末まで須藤氏が経営していた「Restaurant TAIYO」に勤務していた女性とその友人2名、フランス料理修行中のキュイジニエ君、そしてヴァカンスに来た私のダンナ(このHPのウェブマスター)、私の計7人。

 

  

 

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今回のスケジュール

8/11

ヴージョ着

Chateau Gillyで夕食

8/12

宿泊先のホテルで終日アポ取り&テニス&プール 

Chateau Gillyで夕食

8/13

須藤氏達と合流

Aux Vendanges de Bourgogne(ジュヴレイ・シャンベルタン)で昼食

ジュヴレイ・シャンベルタン、ヴォーヌ・ロマネの畑巡り、開いているセラーで試飲

ボーヌを散策

Benaton(ボーヌ)で夕食

8/14

Castel de Tres Girard(モレ・サン・ドニ)で夕食

15:00 Raymond DUREUIL−JANTHIAL訪問(Rully)

シャサーニュモンラッシェの畑巡り

Levernois(ボーヌ)で夕食

8/15

ドーヴィルへ移動(途中モネの生家で有名なジヴェルニィ、ジャンヌ・ダルクの終焉の地であるルーアン経由)

モネの庭

ルーアンの二つのメイン・ストリート。ジャンヌ・ダルク通りと大時計通り ルーアンからドーヴィルへの移動はセーヌ川沿いを通って。パリのセーヌ川とは随分と風情が違う。朝は川沿いに靄がかかって、印象派の世界

8/16

DEAUVILLE Auction(ドーヴィル・オークション)参加

帰パリ

 

 ダンナがパリに到着した日は、パリの最高気温は18度。ブルゴーニュに到着しても相変わらず肌寒く、半ばやけくそで子供達しか遊んでいないプールで泳ぐ(私が住むパリのステュディオはバスタブ無し。そしてパリでの生活はパソコンに向かいっ放しなので、慢性的バスタブ欲求不満と運動不足なのだ。ダンナが来た時のみ、贅沢な生活が保障される?)。しかしプールから上がると当然寒く、とてもではないがプールサイドで優雅にクレマン・ド・ブルゴーニュ、という気分ではない。翌日も然り。とうとうこのまま秋になってしまうのか?

 しかし3日目、須藤氏と合流した日以来ぴかぴかの晴れ。畑に入ると、ヴァカンス中の無人の斜面でじりじりと肌が焼けていくのが分かる。そして、夜。畑の間を抜ける道路から見上げる夜空のなんと美しいことか!ブルゴーニュに来るといつも不思議な空の近さを感じるが、夜空も然り。透明な黒みがかった紺碧の空、そして都会では見ることの出来ない夥しい星も近い。最高に気持ち良い。

 ああ、フランスの天気。なんてあなたは気まぐれなのか!?

 

日本のお盆は、フランスも休み

 7月後半からアポ取り難航を嘆いていたが、日本もお盆である8/12以降、フランス人のヴァカンスも最高潮に達したらしく、いよいよアポ取りは不可能なほどに難航。直前アポに望みをかけて、12日(月)は午前9時から携帯とベタン片手に、マルサネから南下しながら訪れてみたい生産者に電話をかけまくる。しかし、不在、留守電、人が出ても「何日まで閉めています」の繰り返し。大手である、ルイ・ジャドー、ジョゼフ・ドルーアン、ブシャールP et Fにまで振られる。

 そこで普段なら絶対駄目であろう「高嶺の花」系ドメーヌにも、「高嶺の花の気まぐれ」を期待してかけてみるが当然不可。こうなると模擬試験で「東大」などと書いてD判定をもらうのと似ている。まさに玉砕。そんな中で、唯一訪問を受け入れてくれたレイモン・デュレイユ・ジャンティアル。本当にありがとう。そして教訓。「この時期にドメーヌに行けると思うな」。

 

畑巡り

 畑のご機嫌伺いは楽しい。私は生産者ではないのでこんなお気楽なことを言えるのだろうが、東西南北、季節も変われば、畑の風情も当然異なる。名だたる畑の抜群の日当たりに感動し、土に触れ、ブドウをつまみ(すみません)、病気の木には疑問を覚える。あら、かわいい、まぁ、どうしたの?なんて言葉が自然に口をついて出てくる。一つの畑の春夏秋冬をじっと見続けたことはないが、次回長期滞在した時には是非、実現させたいものだ。

 ところで今回訪れた畑はジュヴレイ・シャンベルタン、ヴォーヌ・ロマネ、そしてシャサーニュ・モンラッシェ。ああ、なぜブルゴーニュは人をミーハーにしてしまうのか?決してボルドーではミーハーになりきれない。

 しかし、やはり何度見ても美しいものは美しい。夏のコンティの畑を初めて見た。盆栽を思い出させる、時間を感じる木々の風情。葉や畝に移る、ダイレクトな光と影。高台にあり完璧に絵になる傾斜。整然と並んでいるように見えて、1本ずつの剪定から実のなり方、色づき全てが個性的。そして土に指を射し込むと、すっと優しく受け入れてくれる。一日中ここにいてもいいよ、と言われたら、夜明けから星空まで一日中太陽と星を追っかけながら、ぼんやりと過ごしてみたい(もっとも実際行動に移したら、こんな晴れた日は日射病必至だろうけれど)。

 以下はお盆の時期の、畑達の風情である。

 

〜シャンベルタン&シャンベルタン・クロ・ド・ベズ〜

ここから、ここまでがシャンベルタンですよ〜!

ぷりぷりの美

ヴァンダンジュ・ヴェルト。悲しき選ばれなかったブドウ達

シャンベルタン・クロ・ド・ベズ。絵のように可愛い

 

〜ロマネ・コンティ&ラ・ターシュ〜

 

コンティのコンフュージョン・セクシュエル。蛾の一種が生殖活動を行うのを殺虫剤で防ぐのではなく、フェロモンの一種で文字通り「生殖を混乱させ」、予防する 畑で働いていたスペイン人。根が水を吸い上げる力を測定しているらしい
簡単に指が入ってしまう、コンティの土 今でこのぷりぷり加減。これからが最後の熟成と凝縮の時期
コンティのヴァンダンジュ・ヴェルト(左の写真はクリックすると大きくなります)

ラ・ターシュのブドウ。同じ畝のほんの数メートルの中で、こんなにも色づきが違う。1本ずつの木が持つ個性の差、手作業の大切さを改めて思う



  

ラ・ターシュの土。赤褐色の表土に石灰がごろごろ

 

〜クロ・パラントーの区画〜

 

手前の木立までがリシュブール。その上部からクロ(写真の白い部分)までが、ヴォーヌ・ロマネ プルミエ・クリュ。そしてクロの上部がクロ・パラントーの区画。車で登ることはできない。

 

  

 

 

 

〜モンラッシェ&シュバリエ・モンラッシェ〜

 

モンラッシェのシャルドネ 意外に赤みある土に、夥しい石灰 シュバリエ・モンラッシェ(シャルトロン)のクロの門

 

ボーヌのワイン・ショップの価格とは?

 この時期ボーヌのワイン・ショップでは、観光客の英語と日本語を否応無しに耳にする。ワインを買うにはボーヌ郊外と、シャサーニュ・モンラッシェに決めた店があるのでボーヌの中心地でワインを買うことはまず無いが、何店か冷やかしで覗いてみてその価格にびっくり仰天。ワインの状態は移動が無い分良好であったとしても(逆に言えば移動や輸出のコストが無い分、安いはず)、一言。高すぎる!買えません。とてもじゃないけれど。でも買う人がいるから、この価格を堂々と表示できるのだろうなぁ。

 参考までにあるショップのグラン・ヴァンの価格を以下に。(単位:ユーロ。1ユーロ約120−125円。文中の日本円は120円換算)

〜DRC〜

ラ・ターシュ 1959:5950(えーっ!71万4000円?)、1964:1830、1998:600

リシュブール 1957:610(許せる気がしてくるから不思議である)、1967:650

モンラッシェ 1998:3000(嘘でしょ、36万円)

ロマネ・コンティ 1998:3360(脱力。40万3000円)

〜メオ・カミュゼ〜

ヴォーヌ・ロマネ クロ・パラントー 1987:500

〜マレー・モンジュ〜

ロマネ・サン・ヴィヴァン 1971:700

、、、。分かりやすい銘柄は全てがこの調子なので、メモを取るのをやめた。

 

 ちなみにボーヌの町中で良心的なショップの一つは、ルイ・ジャドー、ルイ・ラトゥール、ブシャール・ペール・エーフィス、フェヴレイの共同経営のショップ。これらの生産者のものを買うなら、生産者経営の強みで価格は非常に良心的、かつ状態も良い。

 

アンリ・ジャイエ、3度目の正直

 5月にブルゴーニュを訪れた際に、1992年のアンリ・ジャイエ ヴォーヌ・ロマネ 112ユーロ(約13440円)を目当てに、Chateau Gillyというシャトー・ホテルの中にあるレストランで夕食を取った。だが真打ちジャイエは2本連続微妙にブショネで、少なくとも本来の姿ではなかった。

 今回このシャトー・ホテルを宿泊先に選んだのはジャイエ目当てだったわけではなく、前回滞在した時に余りにも快適だったので、今回はもう少しゆっくりここで滞在したいと思ったからだ。しかし須藤氏と合流するまで私達には車が無いので、必然的に夕食はホテル内で。そうなるとワインリストについつい「例の銘柄」を探してしまう。

 あった。そして前回ブショネを否定したソムリエ氏の姿もそこに。執拗にワインリストを見る東洋人(しかも一人はスキンヘッド)を彼は記憶しているだろうか?彼の応対は「どこかで見たことがあるけれど、思い出せない(でも余り良い記憶ではない)」というもの。しかし初日はデカプリオ似のソムリエ、ジャクラン・グレゴリー氏のにこやかなサーヴィスの下、1976年 ミシェル・ゴヌー ポマール・グラン・ゼプノ(198ユーロ)を楽しみ(まだ十分に若々しく素晴らしかった!)、グラン・マニエ (150周年記念ボトル)で締めて満足して部屋に戻った。

 しかし、2日目の夕食。やはりジャイエが気になって仕方がない。在庫があれば縁があったと思おう。そして状態が良ければ幸運だと思おう。この日もサーヴィスに付いてくれたのはジャクラン・グレゴリー氏。ワインリストを渡そうとする彼に「もう決めています」と言うと、「覚えているのですか?」と少し引き気味。抜栓。試飲。

 格段に前回と違う!赤い果実をここまで鮮烈に表現できるということにおいて、彼の右に並ぶ生産者はいないのではないか。酸が、果実が舌の上で踊り、時にぽってりとした甘味が舌の上で休む。そして喉をワインが落ちていく時の喜び。

 ジャイエと食事を楽しんでいる私達に、例のソムリエ氏が声をかけた。「今日のワインはいかがですか?」「3本目のジャイエは美味しかったです」と答えると、彼の中で記憶が蘇ったのか彼の微笑みは凍り付き、それから二度と私達のテーブルには来てくれなかった。ジャクラン・グレゴリー氏にも少し飲んでいただいた。やはり良昨年のジャイエと比べると若干タンニンが乾いた感じがするが、素晴らしいコンディションであると言うことで私達の意見は一致。本来の姿に出会えて満足。

 

コルクの状態も良好

 ところでボーヌのレストランのワインリストにアンリ・ジャイエの名前を見つけることはさすがに無くなってしまったが、村のレストランでは結構見つけることが出来る。底値で1995年 ヴォーヌ・ロマネ 180ユーロ、1988年 ヴォーヌ・ロマネ クロ・パラントー 495ユーロくらい。1986年くらいまではまだみかける。ムニュ(定食)が20ユーロくらいのレストランで、そんなワインを頼むということがきっと普通はアンバランスなのだ。しかも注文すると惜しげもなくサーヴィスしてくれる。ワインリストに載せておきながら、注文すると理由をつけてサーヴィスしようとしないアラン・デュカス(1988年 ヴォーヌ・ロマネ クロ・パラントー 595ユーロ。アラン・デュカスのワインのサーヴィスは、人を舐めている。おおっ、というワインは全て出し渋る。彼らが売りたいワインがあからさまに分かる)とは大違いだ。

 村のレストランも彼らなりに少しは値上げを試みているだろうが、やはり訪れた時にはいつでも「来て良かった〜!」というワイン・リストを維持してほしい。そして気持ちよく注文に応じて欲しい。