9月

〜2004年、ブルゴーニュの収穫開始は例年並みか、やや遅め?〜

 

 

 
 

 

 9月8日夜、日本への一時帰国を終え、久しぶりにフランスの土を踏む(ヴァカンス前後は生産者とのアポイントも取りにくく、行脚活動?の効率も落ちるのだ)。再渡仏前にフランスから届いた友人達のメールを見ると、

「夏が戻ったみたい。厚着してこなくてもいい」

「私が住んでいる街では、市が住民にプールを開放した」

「公園で、肌を焼きながら飲むビールは最高!」

などなど、要するに9月に入ってからはかなり暑いらしい。

 実際に到着したフランスは暑かった。日本の今年の猛暑を思うとカワイイ暑さであるが、日中はパリでも30℃近くまで気温が上がり、ボルドーなどより南の地域では30℃を超えている。また日は短くなったとは言え夜は8時近くまで十分に明るく、この日の長さが実際の気温よりも太陽の存在を、より強く実感させる。天気予報によるとこの暑さと好天は少なくとも9月12日頃まで続きそうだ。

 

 昨年のような酷暑でなくても8月に収穫を始める南仏は別にして(注)通常は9月以降が収穫時期である産地にとって、9月に入ってからの晴天と高温(夜間との温度差・乾燥した風があると、なお良い)は歓迎される。特に収穫2〜3週間前は、ブドウにとって成熟のラスト・スパート時期である。そこで今年前半に最も頻繁に訪問したブルゴーニュにおける、現時点までの成長過程をごく簡単に振り返りたい。

 

3月中旬

この時期としては高温に恵まれ、ブドウ樹が本格的に活動を始める。その後の展葉は、4月の下旬から安定・活発化。また春の遅霜は特に見られなかった。

初夏

5月中旬からの約1週間と、夏至(6月21日)までの1週間に夏を思わせる陽気。しかしこの2週間を除くと気温はごく平年並みで、よって開花時期に、区画によってバラツキが見られた。その後夏至を過ぎた頃から7月の第2週目までは時に上着が必要なほどの涼しさが戻り、ブドウ樹の成長はいったんペースを落とすが、最終的に結実は順調なものとなった。

7月下旬

雹害が局所的に勃発し始める。特に7月20日のマコン地区の雹害は激しく、区画によっては壊滅的な状態となった。

8月

冷夏ではないが、特に暑くない夏が続く。また乾燥気味だった初夏を解消する、適度な雨が降る。

9月上旬

冒頭に記した晴天と高温に恵まれ、ボージョレーでは9月11日が収穫公示日となる

 

 全体的には、現時点での気温・日照量は、ともに例年並みであるようだ。ただ夏以降には病害の広がり(ウドンコ病、べと病)も見られ、そして2004年、畑において最もわかりやすく深刻な被害をもたらしたのは、雹害であると言えるだろう。

 

 また昨年に引き続き、私の収穫作業参加先であるドメーヌ・クロード・デュガによると、現時点での収穫開始予定日は9月25日。これは昨年よりちょうど一ヶ月遅く、ドメーヌにとっては例年並みの範疇に入る。9月に入ってから晴天に恵まれてはいるものの、やはり「やや涼しめ」に推移した8月が、ブドウ果の成熟をゆっくりとさせたことが理由であるらしい。また雹害はジュヴレイ・シャンベルタンにおいても例外ではなく3回勃発し、ドメーヌの区画も局所的に被害が見られたということだ。

 

 当HPにおける最終的な2004年の収穫状況のレポートは、収穫が終了する10月上旬以降を予定しているが、ともあれ今後2週間と収穫時の天候の推移が、このミレジムの個性を決定する(いわゆる「並」と「優」に分ける)最後の鍵となることは間違いなさそうである。

 

(注)

「フランス食品振興会発行メールマガジンhttp://www.franceshoku.com/」によると、プロヴァンスでの収穫開始は8月23日(プロヴァンスワイン委員会発表)、ルーションは8月の 第3週であった(ルーシヨンワイン委員会発表)。

またボルドーの赤は例年並みの9月24日を予定、そして例年最もボルドーで収穫の早い区画の一つ、シャトー・オー・ブリオンのソーヴィニヨン・ブランは、96日に収穫が開始された(ボルドー委員会発表)。

 

 

直行便のオススメ

 

 これは全くの私事であるが、今回の帰国で痛感したことが一つ。それは、

― 飛行機は多少高くついても、直行便に限る

である。

 

 私の飛行機選びの基準は、

     避ける航空会社はあるものの、まずは安い。

     スーツケースの搭載重量が30キロOK(資料を筆頭に、手土産や時にワイン、生活用品で荷物は驚異的に重量化するのである)。

     東京着、大阪発OK(東京での打ち合わせがある場合、大阪から往復するより安上がりである)。

 

 今回の帰国でこの条件を最も安価に満たしていたのが、ある航空会社であった。帰国便のスケジュールは以下だ。

 

7/28 11:40パリ発 ― 12時50分アムステルダム着

同日 14:30アムステルダム発 ― 翌日 8:45成田着

 

 「アムステルダム経由」と書いたところで、どこの航空会社かはバレバレであるが(?)、とにかくスケジュールには一見、全く何の問題も無い。

 しかし。まずは飛行機がパリを飛び立ったのは予定より1時間半近くも遅い、13時過ぎであった。むむむ、である。このままでは飛行時間を多少飛び急いでも、14時前にアムステルダムに着くとは考えがたい。しかしパリのチェックイン・カウンターで成田までの搭乗手続きは済ませており、手元にある引き替え済みの搭乗券が私に余裕を持たせていた。まぁ、待ってくれるでしょ、てなものである。

 14時過ぎにアムステルダムに到着。搭乗時間はとっくの昔に過ぎているが、とにかくひたすら指定された搭乗口を目指すが、ここで最初の難関があった。それは「スキポール空港(アムステルダム)は恐ろしく広いのに、モノレールなどは無い」ということだ。「Bターミナル(私の目指すターミナル)まで徒歩15〜20分」という、親切心の表示も、私にとっては非情なものとして目に映る。加えて手荷物はキャリーケースとは言え、パソコンとカメラで悠に10キロ超え。しかもデリケートな代物だ。この日、スキポール空港でムービング・ウォークを疾走する妙齢の日本人女性を見かけた人がいれば、多分それは私である(?)。

 疾走のかいがあって、目指す搭乗口に着いたのは出発時間にまだ間がある14時20分。しかし。搭乗口には乗客の姿が無いばかりか、職員が帰り支度をしており、電光表示板には何と「Departed」の文字が。最近英会話力が中学生並みに落ちてしまった私は、数秒「Departed」の意味を再度考え直してしまい、我に返り立ち去ろうとする職員に「ひ、飛行機は?」。返答は実にあっさりとしたもので、「もう出たわよ」。

なんじゃ、そりゃ〜〜〜!だ。飛行機が予定より早く出ることはあり得る。しかし私の名前は既にチェックインされており、乗客のカウントをした時点で確実に一人少ないはずで、加えて成田までの便も同じ航空会社のものなのだから、自社のパリ発便が非常に遅れたことは通知されているはずなのだ。乗客を呼び出すアナウンスも皆無であった。ともあれ飛んでしまった飛行機を呼び戻すことは不可能で、代行便の手続きをしなければならず、東京での打ち合わせをこなすためには、何としてでも翌日の午前中には成田に着きたい。だが。手続きカウンターでサラリと言われたのは、

「そうね。上海経由と、ソウル経由があるけれど、どちらが良いかしら?それとも明日の成田直行便?」。

 なぜに成田に戻るのに、アムステルダムから上海(もしくはソウル)へ行かなきゃならないんだ!?それでも少しでも早いソウル経由を確保し、後は東京のアポイント先や日本のダンナに、予定の変更を伝える国際電話をかけまくるハメに。この電話代は大阪のオバチャンの強引さを持って交渉しても、航空会社は3分間有効の無料テレホン・カードを保証するのみである。また便の変更(特にソウルからは航空会社も変わる)により、私の手荷物は無事に成田に着くのか?という一抹の疑問があったが、「心配するな。あなたはソウルで航空券を引き替えるだけで良く、荷物はそのまま成田に着く」と航空職員が断言すれば信じるしか術は無い。

 結局成田に着いたのは、当初の予定より5時間近く遅い14時前。東京市内には何とか17時頃にはたどり着けそうで打ち合わせもこなせそう、、、なはずが、とどめが「ロストバゲージ」であった。既に手荷物は紙一枚も入らないほどに重量オーバー気味で、打ち合わせの資料は全てスーツケースの中だった。この時点で全ての東京での予定は白紙に戻り、キャンセルの電話をかけまくるうちに携帯の電源も使い果たしてしまったが、電源もまたスーツケースの中なのだ。また件の航空会社からは積み残し状況の報告すら、成田に届いていなかった。

 

 ここで、こういうトラブルに逢った時の為の(?)補償額について触れておくと、ホテルは確保されても、足代の保証は5000円のみ。しかしこれは私がビジネスにグレードアップされたために出た最高額である。また万が一荷物が紛失した場合は、1キロにつき最高20ドルが支払われるそうだ。ちなみに成田の航空職員によると、近年スキポール空港経由でのロストバゲージ頻度はかなり高いのだという(幸いにも私の荷物は2日後に大阪に届けられた)。

 

 最終的にこの日の大阪への新幹線代、また再度上京することになったための大阪―東京間の往復運賃、また何よりも要らぬ労力とストレス、失われた時間や仕事における信頼関係を考慮すると、高く思われる直行便はお安いものだった。

 覚えておきたい(?)。ヨーロッパでロストバゲージが多いのはスキポール、置き引きが世界一多いのはシャルル・ド・ゴール。そしてリスクを減らすには直行便が賢い。