Webmaster ダンナの大阪ワイン会報告

〜イルカに乗ったバッカスが助けたシャンパーニュ
Heidsieck & Co Monopole Gout Américain 1907

24/04/2004 at SANTE(北新地)

 

  このホームページを開設してもうすぐ2年。最初で最後??のダンナのワイン会報告です。

何故って?それは1997年5月29日に発見された沈船Jönköpíngから引き上げられたHeidsieck & Co Monopole Gout Américain 1907を飲む機会に恵まれたからです!!このワインが販売された時には何十万円もの値がついいていて、決して口にすることが出来ないものと思っていました。嫁がWinartの「Cru Cru Times」に連載中の「ワインな仕事」で紹介したワイン鑑定士 クロード・マラティエ氏が鑑定したシャンパーニュでもあります。

 このワイン会に参加することになったのはメールで届いたワイン会のお誘いから。「'57Romanee Contiを飲む会に参加しませんか? 」そのメールに、その他1907シャンパーニュ(沈船から引き上げられたもの)などと書いてあるじゃないですか!!行きますとも!こんな豪華なワイン会経験したことない!


 

Heidsieck & Co Monopoleとは

沈船から引き上げられた、ロマンチックなシャンパーニュ Heidsieck & Co Monopole 1907

 1916年ドイツ軍の潜水艦U22によって沈んだJönköpíngは、1997年5月29日バルト海の水深64Mで発見され、その船底には3000本のシャンパーニュが眠っていた。1998年にその船体は水面に引き上げられ、約2000本のシャンパーニュが完全な形で運び出されたが、水深64M(6気圧)、水温2〜4℃、光から閉ざされた船底、、、それらのすべてがシャンパーニュに生きる力を与えていた。そして20世紀初頭のシャンパーニュが「ドゥー(残糖度50g/L以上)」が主流であったこと、またシャンパーニュならではの酸度の高さ等を加えて、引き上げられたシャンパーニュは信じられないほどに素晴らしいものであった。そしてそのロマンチックなシャンパーニュ、エドシック&Co.モノポール*1は1998年10月のChristie's Auctionで3800$がつくほど話題を呼んだ

 

 *1)当時のエドシック家は現在のように、シャルル・エドシックやピペ・エドシックというように分家しておらず、よって生産者名はエドシック&Co.モノポールとなっている。

 

1998年当時のテイスティングコメント

 ワイン鑑定士 クロード・マラティエ氏によるテイスティングコメントは以下の通りである。

 

  驚くべき事に、このシャンパーニュにはまだ若々しい果実味(カリンやアプリコット)と、僅かながら泡も存在しており、開栓後に数分で劣化するという古酒に見られがちな短命さも無かった。よって地上でも正常な環境に保存されれば、後数年は全く問題が無いと判断した。

 この時の喜びと感動は、古いクリュッグや、リリース当時のサロン(1920年代後半)を飲んだ時と、肩を並べるものであった。

 

ワイン会報告

 

ワインリスト

 1.1907 Heidsieck & Co Monopole Gout Américain 

 2.1995 Macon Clesse Quintaine Cuvee Tradition D. de Bongran  Jean Thevenet

 3.1986 Batard Montrachet selection Patric Javillier

 4.1999 Gevrey Chambertin Claude Dugat

 5.2000 Gevrey Chambertin Coeur du Roy  Dugat Py

 6.1999 Gevrey Chambertin Coeur du Roy  Dugat Py

 7.1957 Romanee Conti DRC

 

ほら、ちゃんと泡が、、、

1907 Heidsieck & Co Monopole Gout Américain 

 えー最初から1907年エドシックですか!!

 じゃあどこに持ってくるかと言われても、全く???なシャンパーニュゆえわからない。「じゃあ行きましょうか」と知人が開栓にかかる。しかし開かない。栓の部分に黒いプラスティックのようなものが巻かれていて、これが頑強にコルクを守っている。開けてはいけませんと言わんばかりに強力である。最初は優しく、最後にはその店にあるナイフ、ペンチ、、と渾身の力を込めてプラスチックをはぎ取る。

 気圧の変化で栓が飛ばないように巻かれたプラスチックをはがすと、その下には1907年当時のままのコルクが現れる。注いでみると、、、、あっ、泡がある!!写真を見て欲しい。ほらね! 香りは、、、、、カリン、蜂蜜、ナッツ、うーんマロングラッセのよう。数分たつが誰も飲まない、誰も飲めない。最初に飲むのは誰だ!あ、飲みやがった!俺も飲むぞ、、、、、スゴイ生きている。誤解を恐れずに書くとソーテルヌの古酒を発砲させたような感じ。でも、酸がある。

 この一本のシャンパーニュをそれぞれが思い思いの言葉で語る。どれほどの時間がたったのかは分からないが、ワイン会を先に進めなくてはいけない。次のワインは、、、、デュガさんには悪いけれど以下省略である。

 

1957 Romanee Conti DRC

 1957年が私の生まれ年であることから、私にとって’57ロマネコンティを飲むのはこれが3回目。

 最初は新婚旅行の時。あらかじめグラン・クリュ・クラブ(GCC)の須藤さんにフランスで購入をお願いし、私の誕生日にコンティの畑を見に行った後、パリの須藤邸で奥様を交え、須藤さんの(料理も大変上手である)手料理で4人で飲んだのが最初。次がやはり日本のGCCワイン会。そして今回である。

ロンドンのオークションで購入されたロマネコンティ1957

 40年以上たつワインにもかかわらず、幸運なことにそれらの全てがワインとして楽しめた。古酒には古酒の楽しみがあるが、私にとって古酒は本来の形のワインではない。59年のブルゴーニュワインに比べると明らかにポテンシャルの違いがあり、ピ−クを過ぎたとも言えるのであるが、さすがコンティいと言いたい。

 そして、その3回に全て共通するのが人肌感である。バラの香水を着けた上品なマダムとでも言おうか。着けたてではない。着けて数時間後、その人の香りと香水が混じり合った感じである。

 開高健の「ロマネコンティ1935年」という小説がある。開高とその友人がコンティを飲むのであるが、このコンティはは壊れていた。しかし彼はそれを飲みながら、彼にまたがり胸にオレンジを搾りかける、ある女性との情事を思い出す。私は評論家ではないので、開高が何を言いたかったのかは語れないが、私にとっての(そして嫁も同意見)人肌感なこのワイン、開高も同じものを感じていないか。そして、この感覚は素晴らしいブルゴーニュにしか感じないものなのである。ロマネ・コンティ、人に語らせるワインである。血の通ったワインである。 しかし、素晴らしいワインは語れば語るほどにその本質から離れていく感じがする。

 

 私のただ一つの不満は、色気むんむんのマダム・コンティではなく、一度は素晴らしい状態のマドモアゼル・コンティも味わってみたいと言うことでしょうか。 誰かワイン会に呼んでくださーい!!

 

 

 

最後に、このワイン会を企画され、ワインを提供して頂いた毛利征三郎様に心より感謝を申し上げます。