〜 Les vendanges 2005 Domaine Claude DUGAT Vol.3〜

2005年 ブルゴーニュの収穫風景 ドメーヌ・クロード・デュガにて その3

収穫日記 後半 

(Gevrey−Chambertin 2005.9.18〜9.21)

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9/18(日) 〜 さらに、北風 〜

収穫の流れ: オー・コルヴェ(ヴィラージュ)→エトロワ→クロ・プリウール(ヴィラージュ)→レ・マルシェ(ヴィラージュ)

 

 「信じられないほど、空が変わる」

 快晴で始まったこの日であったが、午後からはジモッティにこう言わせるほど、空の色はコロコロと変わった(「女心と秋の空?」)。グレーがかったかと思えば、雲間からは西洋絵画の「降臨」のような、神がかった黄色い光が差す。まるで早回しのフィルムを見ているかのようだ。そして畝にかがんでしまえば弱まるものの、畑の外に出れば収穫カゴごと煽られるほどの北風の強さ。つくづく畑とは空と風に「洗われている」のだな、と思う。

 疲労度のマックスは3〜4日目。しかもフランス全土を挙げて「働かない」日曜日。でも収穫は止まらない。「待たねばならない」事情がない限り、収穫に休憩は無いのである。そしてこの日もドメーヌの想定通り、摘まれるべきブドウは絶え間ない北風に乾かされながら、確実に摘まれたのである。

 

早朝、柔らかいオレンジ色の光の中、ヴァンダンジャーに指示を出すクロード。オー・コルヴェ(ヴィラージュ)にて。 ブドウ樹の間を抜ける光もオレンジ。オー・コルヴェにて ポーターのパトリック(やはり常連)。陽気なポーターたちの他愛のないおしゃべりも、単純な作業には耳に楽しいもの。 エトロワにて。 



 

先代モーリス。会う人が敬愛の念を必ず持ってしまう、生粋のブルギニヨン。クロ・プリウールにて。 カスクルートの後、一息つくヴァンダンジャー。お二人はプラスティック・アートを学ぶ学生さんで、ブドウ樹の列を挟んでするおしゃべりも楽しかった。クロ・プリウールにて。

 

9/19(月) 〜ピーカン(快晴)の始まり 〜

収穫の流れ: レ・マルシェ→ラ・マリー(ヴィラージュ)→ラ・ボシエール(ヴィラージュ)→レニャール(ヴィラージュ)

 

 宿泊先(ジュヴレイ・シャンベルタン内)を7時前に出る。通りを曲がると白々とまん丸な月が、まだ青みが支配する空にポッカリと浮かんでいるのが目に入る。そしてまさに「月光で本が読めそう」な澄み切った青白さは、今日という一日の快晴を予感させたが、快晴は一日だけではなかった。この日以降は収穫をしているのが惜しいほどの(できれば収穫を抜けて?ブドウ畑の風景などを楽しみながら、ピクニックでもしたかったほどだ)、快晴が続くこととなったのだ。

 畑に入って30分も経たないうちに、空の色は刻々と変わり始める。方向音痴にでも、北風が「肌で」東西南北を知らせてくれるのに対して、朝の空は唯一(?)「視覚で」それらを教えてくれるものだ。自分の右手と左手を大きく広げた時に、両手の方向にある対極の空の色が全く違う。太陽が昇る側にあるオレンジ色が徐々に濃い水色に空を譲っていく様は、ひたすらロマンチックだ。

「アキヨ!写真を撮らないの!?今空に太陽と月が、同じくらいに綺麗にあるわよ!」

そう声をかけられるも、180度反対にある空を撮るのは、無理である。でも誰が見たって、スゴイものはスゴイのだ。誰か本当の映像のプロが、畑の真ん中からこの空や高揚した気分をシーンとして切り取ってくれないものだろうか?幸いにも例の「Mondovino」に刺激されたのか、私の知る限り、フランス人ドキュメンタリー界にも「少し」動きがあるような?ともあれ畑に身を置くことに幸せを感じる瞬間だ。

 

 この日は私のお気に入りのリュー・ディ(区画)、ラ・マリーでも収穫が行われた。クロ(石垣)に囲まれ背後にシャトーを擁したこの区画は、「広大な庭」といった風情で観光客の密かな写真スポットにもなっている。しかしここは単純に見目麗しいだけではなく樹齢が70年を超えるブドウ樹もあり、それらに混じって「ヴァンダンジャーの(食べる)お楽しみ」と、そのまま育てられているハンブルク種などが当たりクジのようにあるのもご愛敬。要するに摘むのも楽しいリュー・ディなのだ。同時にこの日は冷涼なリュー・ディであるラ・ボシエール(成熟スピードが遅い)も一部のみ収穫が行われ、いよいよ収穫期間も後半に差しかかったことを感じさせる。TシャツでもOKな暑い午後からの日差しは疲れたヴァンダンジャーを陽気にし、ああ、収穫日より、ってな感じだろうか。

 

宿泊先を出る7時頃は、まだ夜のニュアンスが強い。月を見てこの日の天気を占いながらドメーヌへと出勤。  朝の空は表情豊か。ラ・マリーにて。



 

クロードも手が空けば収穫に参加。ラ・マリー(ヴィラージュ)にて。 畑の向こうにはジュヴレイのシャトー。ラ・マリーはヴィラージュながら樹齢も古く、見目も麗しい区画。


 

秋の朝の空は本当に澄んだ水色。石垣側・手前が長男ベルトラン、男性一人を挟んで3番目が長女レティシャ。「ラ・ジブリヨット」の若き責任者たちでもある。 ラ・マリーにて。  カスクルートのパンを切り分けるマダム、マリー・テレーズ。彼女の良く通る朗らかな声も、ドメーヌに明るい雰囲気を醸し出す。マダムの後ろのギムも、ポーターでありながら空いた手でブドウが摘みやすいように葉をむしったりしてくれる、泣かせる気配り者である。ラ・マリーにて。 

 

9/20(火) 〜 日本からの、お客様 〜

収穫の流れ: レニャール→ジュヌヴリエール(レジョナル)

 

 この日は日本から、伊勢屋の伊藤氏(http://www.jttk.zaq.ne.jp/iseya/)とご友人のトミー氏(日本人である)が、畑に収穫作業を見にいらっしゃった。氏達は東京でデュガ夫妻にお会いしたようで、約半年ぶりの再会となったわけだ。しかし作業場所を携帯で連絡を取り合うも、有名なグラン・クリュの連なりではなく、国道を超えた平地の畑となると進入路すら説明が難しい。氏達の車はこちらから見えているものの、車が往復を繰り返すのを見ているヴァンダンジャー達は「あああああ、あっちじゃないのにぃ〜〜〜」ともどかしがる。

 

 ところでデュガ家の人たちは、訪問しても自分たちの創意工夫や努力を蕩々と語るタイプではない。質問に対しては答えてくれるがとにかく控えめで、こちらの反応を謙虚に見守っているという感じだ。またワインの見本だけを送ってどうこう点数評価されるよりも、まずは現地に来て真摯に試飲される方を好むように見える。もちろん全ての人たちが畑やカーヴに出向くことは無理で、むやみに押しかけることは家族で切り盛りする忙しいドメーヌにとっても非常に迷惑な話だろう。私もこのドメーヌには何度もお邪魔しているが、少なくとも同じ業界の者同士、尊敬するドメーヌゆえ「記録を残す」ということでお礼を出来ればと思うわけで、単にお荷物になることは避けたいと思う。

しかしともあれ、日本のプロの方達が、畑の地図を片手に産地を回ることは良いことに思われる。なぜならブルゴーニュの生産者達がこだわるのが、この微少な、文字通り「道一本」挟んで違う区画から生まれる異なる味であるわけで、その違いがラベル表示の差となるだけだ。だが漫然とラベルを見ているだけではそれはややこしいだけで、味わいの違いとして頭の中に整理され辛い。百聞は一見に如かず、で、風景の差違は机上の勉学よりも雄弁なのだ。デュガ家の応対の丁寧さは有名だが、それは現地まで足を運ぼうとする人たちへの、彼らなりの敬意なのだと私は思う。

 

そんなわけで、忙しいデュガ家に変わって、私が氏達の臨時ガイドとなり醸造所やカーヴ、畑の案内を拙いながら、させて頂いた。そしてヴァンダンジャー達の昼食のテーブルの片隅で、伊藤氏達やシゲさん、私という「日本人チーム」にさりげなく供されたのは、「ジュヴレイ・シャンベルタン プルミエ・クリュ 1999年」。試飲が出来なかった代わりに、というお心遣いと思われるが、フロマージュを食べていた私に、

「アキヨには真剣に飲んでもらわないと困るからね。フロマージュのすぐ後で大丈夫?」

とクロードの鋭い(?)目が。私がどういう立場(微弱ながらライターだ)でここに来ているかを、あやふやにしてしまわない、こんなところも私はクロードが好きである(ちなみにパンと水で口を整えた後試飲したワインは、1999年らしいねっとりとした果実味やジュヴレイらしい土の付いたスミレのニュアンスを濃厚に持ちながら、まだまだブドウ・ジュースというくらいに驚異的に若く、しかし鉄っぽいミネラルの余韻は素晴らしく長かった。クロード曰く「カラフに入れるべきなんだけれど」)。

 

 後日伊藤氏から、メールを頂いた。そこにはチーム・デュガをさして「どことなく、チームとしてのプライドが感じられる」と書いてあったが、私も同感だ。実際にヴァンダンジャーのおしゃべりには、「デュガのカリテ(品質)を守らなきゃ」なんて言葉も聴こえるのだ。こんな良心的なチームを擁するドメーヌは、多いものではない。

 ともあれ、伊藤氏達のおかげで、私も収穫期間中に思いもよらない楽しい時間を頂きました。この場を借りて、お礼を申しあげます!!!(伊藤氏のショップは、ワインブーム云々以前に関西では愛されてきた「酒屋」であり、百貨店時代の私はショップのその個性がいつも羨ましかったのである)。
 

畑に到着する時間は毎日ほぼ7時半だが、たった4、5日でも微妙に日は短くなってくるのが分かる。まだ薄暗い。レニャール(ヴィラージュ)にて。 

伊勢屋の伊藤氏も昼食の席へ。デュガ夫妻とは東京以来(4月)の再会。

 

9/21 〜最終日だ!〜

収穫の流れ: →グラン・シャン(ヴィラージュ)→ ラ・ボシエール

 

 昨年のデュガでの収穫は6日半。そして例年、ドメーヌでの収穫は狩猟に応じて6〜7日(4haで「摘む人」は常に15人前後。そこに数人のポーターや、家族が加わる)くらいであるようだ。涼しく標高度の高い山際から、日照量に恵まれたグラン・クリュの斜面、そして平地までの区画を持つドメーヌゆえ、これくらいの人数でのこのペースが、経験値としてブドウ成熟の時差とちょうど合うのかもしれない(収穫する区画の順番も、毎年同じようで微妙に違う)。しかし疲労度(?)を考えると(何たってチーム・デュガは快適ながら、かなり集中して働く雰囲気なのだ)、「まさか8日にはならないでしょうね?」なんて不安が、正直生まれたりもするのである。

「午前の区画には後14列、午後が16列だろ?ってことはやっぱ、夕方まで行くな」というような会話を長男・ベルトランと補佐役が話しているのを聞くと、ほっとしつつも、自分がまだ数列摘まねばならないことに、なかなか複雑な気分になる(ラ・ボシエールは斜面で短い列なのだが、グラン・シャンは「果てしない」系なのだ)。

 しかし、今日も快晴。毎度ながら「終わり」が見えると、皆が元気になる。カスクルートすら「これが最後のカスクルートよ。未練は無い?」ってな感じで盛り上がる。ちなみに私は昨年、カスクルート、昼食(共に楽しく美味しい)を爆食。結果3キロ太った。しかも今年は夕食に友人宅の手料理和食(フレンチの後に泣けるほどに美味しい!)が加わり、夜も爆食。最初の数日でいかに太ったかは想像にお任せするが(パリでの一人ご飯がわびしいとも言える)、後半は「今日、アキヨは何キロになった?赤ちゃんみたいに毎日増えるからオモシロイわぁ」と、この話題でもかなりヒート・アップした(おかげで私の体重はモロバレだ)。

 そんなわけで、陽気なチーム・デュガは最後の区画、再度ラ・ボシエールへ。2日前、山際であるこの区画の更に山際を摘んだ時には、ブドウ樹によっては果実を鹿に殆ど食べられていて既に「除梗後」状態であったが(鹿もひっそりと、山際の無農薬ブドウを食べている?それゆえ最・山際は微妙に収穫日が早い???)、後半のブドウ樹は果実もほぼ残っている。摘むべきブドウは目の前にまだあるが、「後、一列!」ともなると、熟練のヴァンダンジャーが一気にその列に向かうのだから終わったも同然だ。そしてその時間を知っているかのように、マダムやクロードのお姉様達、先代・モーリス夫妻も畑に到着。

 まだ日が長いこの季節、空は澄み切った水色のまま。この小さな達成感と開放感は、収穫で最も好きな一瞬だ。畑の脇でふざけ合った後、いつもの如くブーケで飾られたカミヨンがクラクションを鳴らしながら、ジュヴレイの小さな村を凱旋する。この凱旋こそが、「チーム・デュガ」であったことを最も誇れる瞬間なのかもしれない。

 

最終日にはポーターの手袋も、ご覧の通りにドロドロに。 山際の冷涼な区画、ラ・ボシエールで最後の収穫が始まった。14時30分頃。

 

今年の収穫も無事、終了。ヴァンダンジャーもほっと一息。陰が長くなってくる16時過ぎ。 最終日の、ヴァンダンジャーの手。猫と遊んだ後のような細かいひっかき傷は、数々の枝によるもの。働き者の勲章?


 

収穫後にカミヨン(トラック)をブーケで飾るのは慣例。この日のように晴れならば、更に絵になる。 


 

畑からジュヴレイの村中を凱旋。先頭の牽引車に乗っているのは、クロードとレティシャ。レティシャはいつもカッコいい。

 

 

 「戯れ言&徒然」が続いた今年の収穫日記。デュガ家は私にとって、毎回ワインを好きにさせてくれるドメーヌなので、こうなってしまいました。

最後まで根気よく(?)読み通してくださった方に、心からお礼を申しあげます。

 

On a fini !!!