〜2004年 ブルゴーニュの収穫風景〜
ドメーヌ・クロード・デュガにて その2
「収穫日記」

(Gevrey−Chambertin 2004.9.25〜9.30)

 

 多くのヴァンダンジャー(収穫人)が何を思いつつ、ブドウを摘んでいるのかは知る由もない。だが単調で筋肉痛に悩まされる収穫作業が、もし暗〜い雰囲気の中で繰り広げられた時には、きっとやってられないだろう。それが理由ではないだろうが、余程当主が神経質で威圧感のあるタイプでない限り、基本的に畑の雰囲気はにぎやかなもので、最終日が近づくに連れハイにすら(?)なる。

 一日本人としては畑の中で交わされる、早口の日常フランス語に付いていけない哀しさは多少あるものの(今まで習ってきたフランス語って、何だったの?と言いたくなる)、私はやはりこの「にぎやかさ」が好きだからこそ、渡仏以来毎年、いそいそとブドウを摘んでいるのかもしれない。

 そんなわけで、収穫の進行具合と並行しながら、戯れ言も少々の「収穫日記」である。

 

収穫日記

〜9/25(土)〜 曇り時々晴れ
 7時半前、ドメーヌに全てのヴァンダンジャーが集合。収穫人の確保が難しい中、デュガのヴァンダンジャーの顔は昨年とほぼ変わらない。「久しぶり!元気だった?」てな感じである。要するに常連さんが多いのだ(ちなみに多くのドメーヌで、経験年数が長いほど微妙に日当が上がるようだ)。そして早朝の気温は5℃。ブルゴーニュのご近所、ジュラはこの日3℃であり、はっきり言って寒い。
 朝焼けが始まる頃、ヴァンダンジャー一行が最初に向かったのはシャルム・シャンベルタン。この後グリオット、シャペルとグラン・クリュが続き、午後はラヴォー、クラピヨ(プルミエ・クリュ)、ペリエール(プルミエ・クリュ)を移動。今年のブドウの成長期の苦労も、ヴァンダンジャーには関係ない。慣れた手つきで、ブドウはサクサクと摘まれていく。
  一方私は「2004年 ブルゴーニュの収穫風景 ドメーヌ・クロード・デュガにて その1」で触れた「畑横の選果台」チームへ。そして私は、この選果台の仕事が気に入った。なぜなら各区画のブドウをジックリ見ることが必然なので、選果を重ねるに連れて「確かに区画ごとにブドウは違う」ということを実感できるからだ。区画ごとに異なるワインができるはずである。また牽引車に乗せられた選果台は「高台」で見晴らしも良く、これは気持ちよい。しかし夜間冷やされたブドウを、気温が上がりきらない屋外で素手で触っていると、たちまち手がかじかんでくる。しかもこの仕事は基本的に、手以外の動きが余り無い立ち仕事。ああ、冷える。
 ところで取り除くブドウの基準は、主に3種類。「未熟果」「腐敗果」「乾燥果」である。マルシェなんかに並んでいたら美味しそうに見える大振りの房も、「水っぽいから」という理由で「未熟果」扱い。容赦なく破棄されるが、足元のカゴに捨てられる時、その重量感のある「ボトン」という音が何となくかわいそうだったりする。そして選ばれなかったブドウは、畑の土に返される。
 

ちなみにグリオット・シャンベルタンの所有者は、クロードの姉・フランソワーズであるが、彼女は毎年、選果に参加しているようだ。その彼女の「あら、結構(ブドウは)綺麗じゃない」という言葉が、難しかった夏のあとゆえ、心強い。
 
特に問題もなく、初日の作業は夕方6時に終了した。
 

早朝のドメーヌにて。

 〜9/26(日)〜 曇り時々晴れ
 
この日の午前中はペリエール(プルミエ・クリュ)とバラック(ヴィラージュ)、午後はオー・コルヴェ(ヴィラージュ)、バラック、ラ・マリー(プルミエ・クリュ)と移動。
 「ラ・マリー」のブドウの美しさに感動。選果台に立つ女性4人も口々に「キレイだわ」。ジュヴレイのシャトーを背景にしたこの区画はフォトジェニックであるだけではなく、平均樹齢も平均70年と非常に高い。よって仕込み、樽熟成も分けて行われる。そして市場では見ないが、「ラ・マリー」のブドウのみで瓶詰めされたボトルも、ドメーヌには存在する。
 しかしこの日、「ラ・マリー」にて事件(?)が私を襲った。ドメーヌから支給された「雨ガッパ(レインコートというようなオシャレなものを想像してはいけない)」の紐が、選果台のベルトコンベアーを回すチェーン部分に巻き込まれたのである。紐はあっという間に吸い込まれ、次に雨ガッパの生地部分がずんずんと吸い込まれていく。しかし私はこういうシチュエーションで瞬時に的確な判断をできる人間ではなかったようで、私の真横にあるチェーン部分のボタンを止めてくれたのは、非常事態(?)に気が付いた次女・ジャンヌであった。
 大丈夫、ケガはなかった?と、真っ青になる選果チーム。雨ガッパは、見事に数枚の布きれにと化していた。だがとりあえず、他は無事。ちなみにドメーヌの歴史には過去に一人のみ、やはり衣類をこのチェーン部分に吸い込まれてしまった人がいるようで、私は不名誉ながら二人目となってしまったようだ。
 しかしこの事件以外は、この日も順調に収穫は進む。パリのワインショップLAVINIAのスタッフも収穫風景を視察に来ており、選果台にいる私を見て「何でこんな所にいるの?いやあ、業界って狭いよね」。
 そう、例えフランスが「ワイン国」であっても、こういう業界内の狭さに関しては、基本的にあまり日本と変わらないような気がする。
 
 

ラ・マリーの区画にて。デュガ家のネゴシアン「ラ・ジブリヨット」の責任者、レティシャ(長女)とベルトラン、そして畑まで持ってこられた選果台。

〜9月27日(月)〜 曇り時々晴れ&ぱらつく程度の霧雨
 昨日に引き続きラ・マリーで始まった収穫は、レ・マルシェ(ヴィラージュ)、クロ・プリウール(ヴィラージュ)、そして午後はラ・ボシエール(ヴィラージュ)、シャン・フラン・オー(ヴィラージュ)へと移動。
 この日は私にとって、「日本人デー」だった。と言うのも当HPお馴染み、GCC(グラン・クリュ・クラブ)の須藤氏一行や、「ブルゴーニュ魂」の西方氏も収穫風景を見に来ていたのである。携帯には時々彼らから現在地を確かめる電話が入り、選果チームからは「日本のネットワークは侮れないわね」と呆れられる。しかし須藤氏しかり、西方氏しかり、彼らこそクレージー(スミマセン)というか、侮れない。なぜなら、

「今ねぇ、デュガさん家からシャンブフ方向に入った道添いの畑、そう、ちょうどクラピエの上の斜面くらいにいる」
といった超いい加減な説明だけで、「あ〜、どの辺か分かったよ。今から行くね〜」てなセリフが即、返ってくるのだ。
地元でもないのに、なぜそんなに詳しい!?特に方向音痴の私にとっては、驚愕である。氏らが行うワイン会やセミナーは、そんな「足で回った情報」の賜なのだと思う。いや、本当に貴重だ。そしてそんな氏らも「デュガのブドウはキレイ」とコメント。ふふふ、だ(この時期はチーム・デュガとして働いているので、やはり勤務先?のブドウが褒められると、嬉しかったりする)。
 ところで「ラ・ボシエール」は、ジュヴレイのブドウ畑と森を隔てる境界線沿い、標高の高い畑にあり涼しく、例年ならば最終日に収穫が行われることが多い。今年は予想外に成熟が早く中日の収穫となったが、食べてみると、やはり一連のグラン・クリュや「ラ・マリー」のブドウより酸は強く、糖は低く感じられる。しかも森の側なので、しょっちゅう子鹿などのジビエ達にブドウの実が食べられてしまうようで、確かに梗のみがぶら下がっている「食事済み」の房が、チラホラとあったりする。
「成熟にも限界がある上に、食べられちゃう。でもこれがこの区画の運命なのよね〜」と、「ラ・ボシエール」の選果をしていたクロードの姉、フランソワーズがポツリ。
 「区画の運命」。そんな言葉に、部外者にとっては難解な区画の線引きも、ここに暮らす人たちにとっては、ごく普通の存在なのだと、改めて思う。
 

須藤氏や西方氏は、森の近くのこんな外れの畑まで、難なくやって来たのである。

〜9月28日(火)〜 曇り時々晴れ
 午前中はエトロワ(ヴィラージュ)、シャン・フラン・オー(ヴィラージュ)、午後はシャン・フラン・バ(レジョナル)、グラン・シャン(レジョナル)を収穫。一部、例の「畑横の選果台」を牽引するのが無理な区画では、私は「摘み取り」チームへ移籍。そして、デュガのブドウは「摘みやすい」と思う。
 摘みやすいのが、良質のブドウ、と言い切ることはできない。しかし他ドメーヌで研修をしている日本人女性も「やっぱり摘みやすい、って良く手入れされているってことじゃないの」言っていた。では「摘みにくい」ブドウとは?である。
 「摘みにくい度・ベスト2」は、

@     大振りのブドウが、嫌と言うほど針金や葉・蔓に絡まってしまっているもの
A    
1世代目と2世代目のブドウの違いが分かりにくく、ダラダラとブドウ樹の上まで、何となく色づいている房が連なっているもの

である。@は絡みをほぐしている(?)うちにどんどん実が潰れるし、あれこれハサミを駆使している時に指を切りやすい。またAは「どこまで摘んだら、いいっちゅうねん(大阪弁)」という感じで、もし全部摘んでしまえば「一株に6〜8房が理想的」なんてセオリーは、脆くも崩れ去ってしまうだろう。だが一般的にヴァンダンジャーは考え込んで摘んでいるわけではなく、明らかな腐敗果や乾燥果でない限り、基本的に「とりあえず、(ピノノワールなら)黒っぽい房は全部摘む」。よってその場合、選果チームがよほど厳しい目を持っていなければ、グラン・クリュであっても、一株あたりかなりの房数がワインに姿を変えることになるのではないだろうか。その点、「摘むなら、ここしかないでしょ!」と言わんばかりに、第1世代目の小振りのブドウが、株の下の方につつましく並んでいると、ヴァンダンジャーにとって作業はとてもイージー&クイック、そして選果チームの仕事は丁寧さを増すのである(もし2世代目が大量に混じっていれば、それを取り除くだけで忙しい)。
 ともあれ収穫作業とは、一年の集大成をアルバイトさんに任せなければならない仕事。ならば「良質の房を分かりやすく残す」ことも大事ではないだろうか?

 

株の下の方につつましく並ぶブドウちゃん。摘みやすそうではないか!?

〜9月29日(火)〜 曇り後快晴
 この日はレイナール(ヴィラージュ)とジュヌヴリエール(レジョナル)等での作業。
 午後からは快晴で、季節の変わり目のこの時期、太陽が昇ると途端に夏を思わせる日差しになる。脱ぐのが好きな(?)フランス人、中には上半身裸の人まで現れる。ただ5日目まで残っているヴァンダンジャーは、もう他人が脱ごうが、自分がどれだけ汚かろうが、気にしない人たちだ。こう書いたのは、やはり汚れる&キツイ、のこの仕事、途中で落伍者が出ることもあるからである。
 ここでこの時期のマダム達の苦労を少し。
 収穫時期のマダム達こそ、まさに縁の下の力持ち。特に料理人などを雇わない小規模なドメーヌなら、その任務はズッシリとマダム達の肩にのしかかる。そしてデュガの「マダム達」とは奥様を筆頭に、クロードのお母様、お姉様達である。

 その仕事は全てのヴァンダンジャー達の昼食や、午前・午後のおやつの用意、といった目に付くものだけではない
(しかし何十人分もの昼食やおやつを連日用意するだけでも、既に大変なはず)。各ヴァンダンジャーを雇用するための書類の作成、労働局への申請、経験年数・仕事内容・出勤日数&時間に応じた給与明細の作成や、時に宿泊所の手配、更に細かいことを言うとそれは快適な洗面所やトイレの用意にまで至り、しかも笑みは絶やせない。
 
「ああ、あんな綺麗な服を着てきて、、、。最後まで持つかしら、あの子たち?」
クロードの奥様、マリー=テレーズが心配そうな顔をしていたことがある。「あの子たち」とはパリからアルバイトに来ていた学生さん2人で、確かに彼女たちのファッションはパリ的には労働着(?)だが、それなりに収穫を知っているディジョンの学生さん達のように「いつ捨てても、いい服」というほど、徹底して諦めた(???)ファッションではない。結果的に彼女たちは最後まで残ったが、中日で「辞めさせてください」は、今回も一人だけだが、あった。
 また今回は、パリ郊外に住むイスラム圏のヴァンダンジャーが二人。彼らは敬虔なイスラム教で、マダム達の用意した食事も、彼らにとっては宗教上の戒律に反するものに満ちている。しかし「せっかくお小遣い稼ぎに来ているのに、昼食代を払ってまでカフェで食べているとしたら、かわいそう」と、昼食の場に誘い、サラダや卵、フルーツのみを勧め、さらにヴァンダンジャー仲間から少し外れている彼らに、何かと声をかけるマリー=テレーズ。
 ああ、マダム達の苦労は絶えない。
 

 一方ドメーヌの醸造所には、「その1」で触れた「微振動タイプ」の選果台が登場し、私も含め興味津々のメンバーによって選果が進められた。また収穫開始から5日経ったこの時点では発酵はまだ始まっていなかったが、浮き上がってくる果帽を櫂で沈める作業は定期的に行われており、レティシャ曰く、
「発酵が始まるとガスが発生して、吸い込むと危険なの。数秒で意識を失って『あの世行き』。近年でもごくたまに事故は起きるけれど、ガスによる事故ではたいてい二人が同時に亡くなるわ。なぜかって?最初に意識を失った相棒を救おうとした連れも、救う前にガスで意識を失ってしまうからよ」。

怖いことをサラリと言ってくれるが、醸造所は気を抜くととても「危険な現場」でもある(選果台のチェーンに雨ガッパを吸い込まれた私が、よい例だ)。
 

ヴァンダンジャー達に話しかけるクロードの奥様、マリー=テレーズ 

〜9月30日(火)〜 快晴
 いよいよ、最終日である。
 最終日、そして快晴となると、ヴァンダンジャーは完璧に「ハイ」だ。収穫終了1時間前ともなると、ブドウの投げ合いの方が、収穫作業よりも忙しいかもしれない。ブドウを投げ合っている風景は傍目からは不謹慎(?)に映るかもしれないが、良識的なドメーヌなら、それは一応、不要なブドウである(念のため)。またそれ以前にワイン造りの風景では、気の遠くなるような厳密さや、科(化)学に裏打ちされた正確な知識を必要としながら、一方で「え、それOKなの?」と驚くくらいに大らかな場面もある。そして彼らの大らかな経験則が「ワインの味わい」として表現される時、それはカチコチに机上の論理のみを詰め込んだ頭を、「まぁまぁ、そんな固く考えなくても」と撫で撫でされている(?)感じがする。彼らの仕事は偉大だが、最終的には人間が携わっているもので、神格化するべきでもないと思うのは、こういう時だ。
 収穫が終わるといつも通りに運搬用のトラックは、ささやかな花束で飾られる。この時期、花束で飾られたトラックを見かけたら、それは「収穫終了」の目印だ。そして派手にクラクションを鳴らして村中を凱旋後、ドメーヌに帰還。これも多くのドメーヌの、お決まりの習慣である。
 私は凱旋中のトラックから村を眺めるこの瞬間が何となく好きである。小さな達成感と陽気な馬鹿騒ぎは、学生時代の「期末テスト終了!」の瞬間とも少し似ていて、同時にフランスを拠点に活動していようが、基本的に日本の社会にドップリと根ざす私を、自然とジモッティな気分にしてくれる(フランスにおける私の人間関係は、フランス人も含め非常に恵まれていると思うが、それでもこの国に完璧に溶け込めている、と思える瞬間は少ないのだ)。でもこんな気持ちよさを一外国人に与えているのは、やはりマダム達の影の努力を含めた、デュガ家の暖かさなのだろう。ここでの収穫は毎回、「もう、終わっちゃったのね」という物足りなさすら感じ、そして収穫後数日は、パリにて一人で食べる食事が妙に寂しかったりするのである。
 

 来年もデュガ家でブドウを摘んでいそうな気がする私であるが、まずはその前に、2004年の試飲のために再度デュガ家を訪れるのが楽しみだ。 

ヴァンダンジャー達は、基本的に陽気。収穫終了後のドメーヌにて。