6/21〜23

〜小さな発見は、続く〜

 

 


 

今回のORGANISATEUR

 

ヴーヴ・クリコの醸造責任者チェフリ氏やブルゴーニュ魂の西方氏、そして私個人によるもの。

 

今回のチーム・デギュスタシオン

 

上記の人たちと。

 

今回のスケジュール

 

6/21

パリ発

18:00 Domaine Claude DUGAT訪問

ジュヴレイ・シャンベルタン泊

6/22

10:00 Domaine Alain BURGUET訪問

14:00 Frederic MAGNIEN訪問

17:00 Domaine du Vicomte LIGER−BELAIR訪問

ジュヴレイ・シャンベルタン泊

6/23

14:00 Monsieur Jacky RIGAUX訪問

17:00 Domaine Georges ROUMIER訪問

帰パリ

 

 ここのところパリジャンもブルギニョンも、「涼しい・暑い」の温度差の揺れに翻弄され続けている。特に早朝はかなり冷え込み、今回の滞在でも時には薄手の革ジャンの下にもう1枚長袖を着込む時もあれば、タンクトップでちょうど良い昼下がりがある。昨年の暑さも強烈な印象を私に残したが、この気まぐれな気温変化も日本人には馴染みにくい。

 もっとも先月に続き、今月も特に畑での問題は見られないようだ。Bon(よし)!である。

 

サン・ヴィヴァン修道院にて

 

 サン・ヴィヴァン修道院。例の「DRC オート・コート・ド・ニュイ ブラン」が生まれるきっかけであり、今や日本のワイン・ファンの間では、最も知名度が高いかもしれない(?)修道院である。(詳しくは2002年の「小さなワインニュース」、「今冬リリースされた「隠れ」DRCワイン」参照)。

 今回、1日同行させて頂いた西方氏の提案で久々にこの修道院に足を伸ばすことになった。

 修道院に足を踏み入れた第一印象。ん?廃墟然とした佇まいは、なんか2年前と殆ど変わっていないような、、、。確かに修復しようとしている痕跡は探せないこともないのだが、基本的に変化ナシ。修復基金は思うようには集まっていないのであろうか?

 そもそも日本では高額なこのワインであるが、DRCの蔵出し価格自体はかなり「控えめ」であるようだ。2年前、LAVINIAでの店頭価格「21ユーロ(約2800円)」をDRCの共同経営者であるロック氏に伝えたところ、非常に驚愕していたことを思い出す。他に基金集めとしてコンサートなども行われているのだが、歴史的建造物を完全な姿で拝む日が、近い未来にあるとは残念ながら思えない。

 

 修道院を出ると、そのすぐ裏手には「いかにもオート・コート・ド・ニュイ」な畑がポツリ。このワインの畑は「修道院跡の飛び地に存在」と聞いていたので、まさかここではないだろう、と思いつつ、作業をしている人たちに尋ねてみると答えは「ウィ」。だがよく考えるとこの作業従事者の多さこそ「DRC」なのかもしれない。

 急な斜面に転がる石灰。高地ならではの涼しい風。ともあれ「白ワインを作りなさい!」と言わんばかりの畑を、自分の目で確認出来たことは満足だ。

しかしこのワインが存在する本当の目的を思うと、日本での高値ぶりも何らかの形で「修復作業」に還元されて欲しいと思ったりするのである。

 

廃墟然としたままなのだが、畏怖堂々としたオーラもある。 畑には海の香りが感じられるほどの石灰がゴロゴロ

 

同日の撮影。左がロマネ・コンティのもの、右はオート・コート・ド・ニュイ。コンティは既に実がプックリし始めているのに、オート・コート・ド・ニュイは開花が終わった直後。涼しさは開花にも顕著に表れる。

 

シャトー・ド・ポマールのチャレンジは続く 〜今度は白!?〜

 

 先日の「生産者巡り」でレポートしたばかりの「シャトー・ド・ポマール」。その名の通り「ポマール一本!」なイメージの強いこのシャトーであるが、いよいよ白ワインにも着手する。それは新たに購入した「シャサーニュ・モンラッシェ プルミエ・クリュ レ・ショーメ(Les Chaumees)」だ(サントーバン寄りにあり、プルミエ・クリュ クロ・サン・ジャンのお隣さん)。

 詳細は別の媒体で述べたいと思うが、「ブルゴーニュという土地が体現しうる全てをここで実践したい」という新しいシャトーの所有者、モーリス・ジロー氏の言葉には1点の曇りも無いようで、同時にジロー氏の圧倒的な資金力を、ここにも垣間見ることができる。

 生産者巡りで「全ての結果が現れるのは数年先」と書きつつ、良くも悪くもあっという間に経ってしまうのもこの「数年」という時間だ。数年後、私の生活が潤っていれば(?)、優雅にシャトー・ド・ポマールのスイートにでも宿泊し、蔵出しのワイン達で1日を締めくくってみるのも悪くないかもしれない!?

 

やはり、農業国だった 〜パリ市庁舎にて〜

 

 パリにいながら、歴史や美術に触れる機会を逸したままである。そんな私に「パリ市庁舎(Hotel de Ville)を見学しませんか?」のお誘い。

 パリ市庁舎をただの「市庁舎」と捉えては、それは認識不足であるそうだ。「パリとフランスは別の国」と言われるほどにパリ市の独立性は高く、この市庁舎もエリゼ宮と同様に国賓を迎え、また食事会なども開催されるようである。よって「高貴な間」には申請・許可無しでは入れず、テロ防止もあり見学者の名前は前もって登録が必要だ。そんなわけでブルゴーニュから夜遅くパリに戻った翌朝、パスポート持参で(!)早速パリ市庁舎に向かったのである。

 

 見学中、最も興味深かったのは「農民賛歌」をモチーフにした絵画や彫刻が、夥しく散りばめられていたことである。特に「晩餐の間」の天井を埋め尽くす絵画は、まさに「全国物産展」(百貨店チックな表現でスミマセン)。そして「全国物産展」が言わんとすることは、

「パリという比類無き都市が、世界中の人々を招いて麗しい晩餐会を催すことができるのは、この豊かな大地がもたらす恵みがあってこそなのだ」

であるらしい。

 「農民賛歌」は続く。牛を追う者、落ち穂を拾う者、釣り糸を垂れる者、、、。絵画自体は全体的に「消防士のやっつけ仕事」と呼ばれる類の、特に価値が高いものではないらしい(勿論、評価の高い絵画も混在する)。そのせいか集中力が落ちるに連れ、正直どの作品も同じに見えてきたりもするのだが(畑の風景を見慣れた目にルネッサンス様式の緻密さは少々過剰である)、それでも容赦なく(?)、農民達は絵画から自己の仕事を主張するのである。

 やはりフランスの根源は、農業なのだ。そして外国人からすると「どっから来るの、その自信は?」と言いたくなるフランス人気質は、もしかしたら土地に支えられているのか、という結論に至って市庁舎を後にした次第である。テロワールという言葉に特別な思いがあるのも、無理はない。

 

左より、「シャンパーニュ」「ブルゴーニュ」「ガスコーニュ(ボルドー)」。晩餐の間の天井は、各地の特産物を持った女性達の絵画で取り囲まれている。