2006年3月13日

〜 久々のワインデビュー(?)は、古酒にて 〜



 

 

 パリに戻って4日ほど、留守中に溜まった郵便物に目を通したり、掃除や買い出し、郵便局や銀行、、、といった余りパリを楽しめない週末を過ごした。そろそろワインモードに切り替えなければ、という時にトゥール・ダルジャンの名カヴィスト林秀樹氏(今や雑誌「ワイン王国」でもお馴染み)開催の試飲会に参加。そう、林氏と言えば「古酒」であるがこの日の試飲リストは以下(全てブラインド・テイスティング)。

 

~ Champagne ~

Perrier-Jouet Blanson de France 1969

 

~ Vin blanc ~

Meursault-Charmes 1985 J.Matrot

Riesling 1981 Kolbloth

 

~ Vin rouge ~

Ch. de Sales 1975

Nuits-Saint-Georges Les Boudots 1973 G.Prieur

Aloxe Corton 1964 Lobreau

Ch.Montrose 1961

Ch.Suduiraut 1945

 

 日本とフランスで試飲をする時、自身の体調、環境の差(特に湿度)、そして近年は差が小さくなっているとは言えワインのコンディションの違いなどを感じる。本質的な味わいは同じように見出せても、渡仏直後の私の場合、いつも細かな感覚の「ズレ」のようなものが存在するのだ。それをいきなり「古酒」で修正できるというのは、かなり贅沢で嬉しい。

 

ところで古酒は、熟成の段階によって「最も本質に近くなる」時と、「単純に『素な』ワインに戻る(『酢な』ではない)」時期に分けられると思う。前者は若い頃にあった様々な要素、ピチピチとした果実味やタンニンが落ち着き、そのセパージュが特定の土地に植えられた時特有の香りや味わいが前面に出る時期。またワインの「格」とは、例え若い時(「閉じている」と言われる時にでも)キチンと感じられるべきものだが、落ち着いた要素が複雑性となって、エレガンス、荘厳、壮麗といったニュアンスが生まれ、「格」の底力が覚醒する。樽などの「お化粧」が「剥げ落ちる」か「素肌も綺麗」かという違い、つまり素地の差も明確になる。個人的にはまだ果実味も残る「熟成ピーク前半」から、徐々に余計なものをそぎ落としていくような「枯れる直前」が好きである。

一方、後者「素なワイン」とは、長い熟成後にワインがセパージュやワインの差を超えて、「ワインの味」しかしなくなる時である。飛躍して書けば、少し人間と似ているかもしれない。発酵を始めたばかりのワインに個性を見出すことが難しいように、生まれたての赤ちゃんは私には皆一緒に見えてしまうが、老成を飛び越えた時も、長年自身に張り付いていたものを脱ぎ捨てて一人間に戻る。このような「素なワイン」に分析は無粋で、ただその長かった開栓までの日を称えれば良いのだと思う。

 

ところで前置きが非常に長くなったが、今回のワイン達は皆一様に「本質発揮!」の時期にあった。ミレジムや生産者を、ヒント無しにドンピシャで当てることは10年に1回くらいだが、それでも林氏の差の感じさせやすいサービス順番もあり、久しぶりにミレジムや土地の個性をダイレクトに利いた気分だった。特に興味深かったのはNuits-Saint-Georges Les Boudots 1973 G.Prieur

Ch.Montrose 1961。前者は熟成したピノノワールらしい、乾いたバラやなめし革の香りの向こうに、フランス語で言うTerrien(テリアン、大地に根付いた)」と「Aérien(アエリアン、空気のように軽やか)」な要素が交差して、ニュイ・サン・ジョルジュに位置しながらヴォーヌ・ロマネに接するこの畑の魅力がふんだんに溢れていた。

一方、後者モンローズ。なぜか私はブラインドでモンローズを当てる確率が高いのだが(若い時にはウスターソース?のような特有の香味を感じるのだ)、この日のモンローズは「1961」というミレジムが持つ「格」が際だっていた。まだ色は濃く、熟したカシスのような果実味も残しながら、むせるような官能的な黒トリュフ。心が落ち着くようなしっとりとした森林浴感。もちろんミレジムの利点を最大に個性に生かすことが出来たのはシャトーの力量だろうが、信じられない奥行きという点で、過去に飲んだモンローズの中でも最も際だっていた。そして昨年末に頂いた「ムートン 1945」を思い出した。伝説的なミレジムというのは、一部の生産者にとって、決して言葉だけで語られる「伝説」ではないのである。先日ある生産者の言葉を翻訳していたが、彼の言うとおり、「全ての結果は、グラスの中にある」。

 

さて、来週からはブルゴーニュの試飲会、1週間おいてボルドー・プリムールである。立ちっぱなしで毎日100前後のワインを真剣に試飲し続けるのは、私にとっては試練(?)にも近い。しかしこのような頭ではなく、体(味覚)に覚え込ませるような試飲は、後日いかなるワインを飲んだ時にでも判断力に繋がるものだとこの日の古酒たちは教えてくれたように思う。

もっぱら最近の個人的な目標は「その土地らしく、そして素直に美味しいと思えるワインを探すこと」。今春の二大試飲会でも、そんなワインに出会った時に見逃さないように、まずはとことんワインまみれになってこようかと思う(しかし会場にあるビュッフェをツマミに、メモも取らず、ワインを好き放題に飲めたら楽しいだろうなぁ、と一度くらいは真剣な試飲を放棄したくなるのも事実)。

 

ともあれ着席で、基調かつ素晴らしいワインをじっくりと飲む機会を設けてくださった林氏、そして会を支えてらっしゃる方々に、この場を借りてお礼申しあげます。ありがとうございました!!!