裏話 2月その2

〜今さらながら、ビオワインについて思うこと〜



 

 

初めてビオワインを口にしたのは1999年の夏。ミレジムは忘れたが、ブラインド・テイスティングで飲んだマルセル・ラピエールのモルゴンで、そのアペラシオンを超越した味わいに衝撃を受けた。

 

それから早9年。ビオワインや自然派ワインを意識して飲んできたが、収量と、醸造・熟成の過程が、完成したワインの味わいにいかにバラエティを生むかを痛感する。個人的には酸化香、還元香、揮発酸香、ブレタノミセス菌香が少しでも突出して感じられると飲み辛く感じられ、過度にSO2添加を抑えた、またはSO2無添加のワインで心から感動できるものは非常に限られるようになった。一般的にはSO2は必要最低限、入れるべきだろう。また極端なボトル差や、輸送や保管に対する極度の要求の高さも、一消費者としては許容量に限界がある(それらを受け容れて飲む分にはよいのだが)。そして自然派によく見られるマセラシオン・カルボニックの手法は、時折セパージュや土地の個性を隠してしまうという印象も拭えない。これに関しては、先日久しぶりにお会いしたブルゴーニュのビオの先駆者の一人、エマニュエル・ジブーロ氏(Emmanuel GIBOULOT 〜 一歩一歩、ビオ 〜)と意見が一致する。氏は言う。

「極端な酸化が見られるワインは、昔より減る傾向にあると思う。しかしパリで自然派を得意とするワインバーに行った友人などからは、『出された全てのワインに酸化が感じられ、同じような味わいに感じてしまった。グラスの中での酸化も早い』と聞くこともある。私にとっての醸造とは、セパージュや土地の個性を引き出すもので、ワインに安定感も与えたい。個性を引き出すために行っている『より自然な』醸造が、ワインの個性を隠してしまったり、ワインを必要以上に不安定にしてしまっては、本末転倒だと思う。SO2の添加量もそう。私も毎年減らしていっているし、フリーSO2だけで40ppmを超えているようなものでは、ワインは縮こまったまま本来の個性を発揮できずに終わると思う。しかし『より自然な』醸造のパラメーターはSO2の添加量や、それを減らす工夫だけではない。もっと様々なパラメーターから検証していくべきだと思う」。

 

パリで開催されたボージョレの試飲会にて、マルセル・ラピエール氏。試飲したのは2007年。以前よりも洗練や深い透明感を感じた。会場のワインの中で最も印象に残った一つ。氏がドメーヌを継承して今年で35年目。進化は続いている。 ボーヌのカーヴにて、エマニュエル・ジブーロ氏。氏の醸造スタイルは、ブドウ果汁がそのままワインになったようなピチピチ&フルーティなスタイルではない。そこには「ワインの果実味とは、土地の個性をともなったものでなければならない。そのためにはブドウ自体の果実味はいったんその命を終え、まったく新しく生まれ変わるべき」という哲学があり、醸造・熟成に時間をかけて、ワインにニュアンスが加わるのを待つ。最近の試飲では、全体的にやや硬い印象のあった一連の赤ワインに、以前よりフンワリとした柔らかさが加わったように感じられる。

 

 「美味しければ良い」ということには基本的には賛成なのだが、「美味しい」という言葉は嗜好品ゆえ非常に曖昧だ。結局私にとっての「美味しい」は、「過剰な濃さがなく、ナチュラルなピュアさやクリーンさがあるワイン」にシフトしたということだろう。そしてクリーンさとは味わいの清潔感だけではなく、セパージュや土地の個性も、素直にクリーンに感じられること。もちろんこちらのセパージュや土地の個性の固定観念を打ち破る、新しい可能性を見せてくれるワインは大歓迎で、新しい可能性は、すべて生産者がいるからこそ生まれてくることは言うまでもないのだが。