〜6/18〜20 ロワールへ! (神々に会うために)〜

 

 

今回のORGANISATEUR

 今回の生産者訪問をアレンジしてくださった人は、長期のヴァカンスで初めてフランスの土を踏んだ日本人ソムリエ氏の知人お二人(パリのワインショップ、プピーユのJean-Pascal さんと、インポーターの方)。ソムリエ氏から電話がかかってきた時、訪問予定の生産者の名前を聞いて思わず「絶対行く〜!」を10回くらい繰り返してしまった。

 

今回のチーム・デギュスタシオン

 今回はソムリエ氏とその友人、そして私の3人で訪問することに。全員車(国際免許)無し、加えて貧弱な語学力、そしてホテルも足も確保せず。「どうにかなるっしょう」「行ってから考えた方がいいんじゃない?」そんな会話が幾度と無く繰り返される、「地球の歩き方」度の高い旅。

 でもそうやって生産者のもとに辿り着けた時の感動はひとしおで、振り返ると今回の訪問は自由で楽しかった!

 

今回のスケジュール

6/18

クール・ド・シュヴェルニィ着

11:00 Domaine du MOULIN

16:00 Clos du Tue- Boeuf

 

6/11

11:00 Le Clos de la Bruyere(Les Caillau du PARADIS)

 

6/12

9:00 Catherine & Pierre BRETON

16:00 Nicolas JOLY

帰パリ

 

私は今回の訪問を秘かに「神々への巡礼」と名付けていたのだが、いかがでしょう?

 

移動、移動、移動!

 生産者にアポイントを取ってくださった方々は、私達が電車とタクシーを乗り継いで行くということで、かなりゆったりした時間割にしてくださったようだ。お陰で結果的にはどの生産者も余裕を持って到着することができた。

 しかし私達の頭にかろうじてあるのはロワールの「ワイン地図」のみ。後は到着した各駅で購入した地図と駅に置いてある時刻表を見比べて、とにかく次の目的地の最寄り駅まで行ってみる。それでも最寄り駅まで行ってみたら予想していた電車が実は5時間に1本だった、ということが判明したり、駅前の余りにもの「何も無さ」に呆然としたり、ということがしょっちゅう。(ちなみに足の確保を急ぐ私は、ポリスをタクシーと間違えて手を挙げたりしていた)

 これは例えればJRの時刻表片手に外国人が日本に来て、銘酒を求め1日で灘、伏見、そして山陰へ、、、というような旅(無茶?)をしているようなものかもしれない。「判っていない」ということはある意味「怖いもの無し」と同義語かも。

そして今回は特に困ったことは無かったが、人間与えられた環境でどうにかするものだ。今回が初フランスどころか初の海外旅行らしいソムリエ氏が、まるでずっと旅をしてきた人のような馴染み具合と正しい判断でごくフツウにロワールを踏破(?)していくその姿には、妙に感心してしまった。

 そこで、車も無しにロワールへ行こうとしている人の為に(いないか?)、今回の経路と費用をご紹介(SNCF=電車。電車賃は全て大人1人の正規料金。タクシーはチップ込みの価格)。

→チケットの写真挿入

 

6/18

パリ→ブロワ:SNCF 19、6ユーロ

ブロワ→クール・ド・シュヴェルニィ(ホテル):タクシー 25ユーロ

ホテル→ Domaine du MOULIN:タクシー 25ユーロ

Domaine du MOULIN→ Clos du Tue- Boeuf:生産者に送っていただく。めるしっ!

Clos du Tue- Boeuf→ホテル:タクシー 20ユーロ(実はこの時も生産者に送っていただいたのだが、私が行き先を間違えて伝えてしまった、、、)

 

6/19

ホテル→Le Clos de la Bruyere(Les Caillau du PARADIS):タクシー 40ユーロ

Le Clos de la Bruyere(Les Caillau du PARADIS)→ブロワ:何と、シャンボール城観光コース付きでクルトワ兄弟に駅まで送っていただく!ううう、めるし・ぼくっ!

ブロワ(トゥール経由)→シノン:SNCF 25、4ユーロ

 

6/20

シノン→Catherine & Pierre BRETON:タクシー 35ユーロ

Catherine & Pierre BRETON→ソミュール:タクシー 35ユーロ

ソミュール→アンジェ:SNCF 6、8ユーロ

アンジェ→Nicolas JOLY:タクシー往復 45ユーロ

アンジェ→パリ:TGV 39、6ユーロ

 

 レンタカーより、少々高めかな?でも何よりも、忙しい中を「近いものさ」と送ってくださった生産者の皆様、本当に感謝しています。ありがとう!

 

 

クルトワ兄弟と、シャンボール城観光

 ワインと同じ香りのする畑の風情や、現地で味わうことにより、より強烈な印象を与える各キュヴェ、そして畑や後ろの森、空も含めたクルトワ家の空間の中で不思議なくらいゆっくりと進んだ時間。クルトワ家への訪問が余りにも印象的だったのは、決してそれらの要素だけではない。

 

 「ロワールの厳窟王」。日本でクロード・クルトワについて書かれた記事が強烈すぎた。訪問当日の朝は柄にもなく緊張した。しかし当日迎えてくれたのは、次男のジュリアン。男前で爽やか&にこやか。あれれ、ちょっと拍子抜け。こちらのフランス語が詰まると、そのフランス語の拙さが何となくおかしいのか、ちょっと笑いをこらえた様子で言葉が出てくるのをじっと待っている。試飲はいつしかカーヴの中から外にあるパラソルの下へと場所を変え、厳窟王にはとうとう最後までお会いできなかったが、昼食時には長男ジャン、三男エティエンヌ、も加わった。

彼ら自身のワインに関する主張やそのワインには、明らかに究極に近づこうとしているものだけが持つ強さを感じるのだが、それ以外のことになると、ほんとにごく普通。同世代の日本人が彼らの住所を書いた紙切れ1枚を頼りに来ている、ということが素直に少し興味があって、後は当然のようにもてなそうとしてくれる。

昼食までお世話になって、その上長居するも申し訳なく思い帰る旨を伝えると、「駅まで送るよ」の申し出。結局お言葉に甘え車に乗るとジャンは駅に電話をかけて、私達の次の目的地であるシノン行きの電車の時刻を確認してくれている。何て気の利く(フランス人らしからぬ?)そして次の電車までたっぷり時間があることが分かると、「シャンボール城、見たい?駅までの途中だし」。

 

またまたお言葉に甘え、シャンボール城観光。お城の中には二重螺旋階段があって、云々、、、。午前中は畑のガイド(?)をしてくれたジュリアンが、今度はお城のガイドをしてくれる。そして公園の中をぷらぷらと歩いている2人の後ろ姿は、やっぱりどこにでもいるフランス人。時間潰しにカフェをすすり、ブロワの駅へと出発。駅に到着した時には出発時間が迫っていたので、私達が無事券を買えるのか不安だったのか、チケット売りのカウンターにも一緒に並んでいただき、、、。徹底した親切さにこちらが恐縮してしまう。

結局シノン行きの電車は大幅に遅れていることが分かったのだが、何も言わないと電車が到着するまで一緒に待っていてくれそうな2人に丁寧にお礼を言って別れた。(万が一電車が来なかったら連絡してね、と何度も念を押しながら、彼らは去っていった)

そして彼らと別れた数十分後に、ジャンから電話が。「電車、来そう?大丈夫?」

周りには奇妙に見えたかもしれないが、思わず携帯片手に駅の構内で何度も見えない相手に頭を下げてしまった。下心を感じない(私はあらゆる下心に敏感な方だ)純粋な親切心。

 

6/19。夏至の1日前の、なかなか日が沈まないあの1日は私にとってまさに、「クルトワ家の日」。クルトワ兄弟は忘れられない人達になった。一緒に行った人達も、同じ思いを抱いたのではないだろうか?

番外 シノンは猫の町?

 全くの私事だが、猫が好きだ。実家には常に2桁の数の猫がいる。

 パリに来ると、日本の犬とは行儀の良さのレベルが違う犬に少しの間感心するが、1週間もしないうちに彼らの行儀の良さは早くも常識になり、それよりも犬とその糞の多さ、そして糞の処理に全く無関心な飼い主にうんざりとすることになる(これで犬の行儀までが悪ければシャレにならない)。

 しかし見事なほど猫の姿は見ない。スーパーで猫のエサやトイレの砂は見るのだが。もっともパリの街をふらふら歩いていた時には車に轢かれるのがおちだろうから、「街で姿を見せない」というのは、猫と飼い主の賢い結論なのかもしれない。

 しかし!シノンの町に着いた時にはびっくりした。ホテル横の民家の庭に、閉店したブティックのドアの向こうに、石畳の道路に、とたった15分も歩かない間に猫発見、発見、発見!しかも彼らは逃げない。ある者は喉を触らせ、ある者はヒールの足音に全くびくりともせず、呼ぶと悠々と振り返る。

 タクシーすらない駅前の寂しさにはびっくりしたが、本当にシノンは平和な町なんだ。だって猫がこんなに緊張感が無いんだもん。思わず1匹、お持ち帰りしそうになった。

 

訪問を終えて

「忘れられない」という言葉が一番相応しいかもしれない。

「多種多様なロワール!」なんて簡単な言葉をお客様に対してだけでなく、自分に対しても濫用していた百貨店時代が、懐かしくも恐ろしく恥ずかしい。ちらりと訪れただけでも、多種多様の一つずつの先端に天才・情熱・純粋・マニアック、、、つまり「究極」な要素が透けて見える。

そして例えば1年後、ロワールに対する現在の自分の認識を振り返った時、またきっと恐ろしく恥ずかしくなる。そんな予感がする。